紫陽花の思い出

On 2012年6月30日 · コメントは受け付けていません。

こんにちはっ!! 「息子」です

 

いつも何かお茶らけた話ばかりなので,

本日は私の幼少期の淡い思い出に寄せて,,

かれこれ20年ほど前になるのでしょうか,,,

私の小学生時代です。

学校の周りをいつも丹念に掃除をしている通称「タッチのおじさん」という方がいました。

60代後半のそのおじさんは子供たちが掃除のわきを通るとき、

必ず片方の手のひらを大きく開いてタッチをします。

子供たちは楽しげにこぞっておじさんの手を叩いて通り過ぎる。

いつ始まったかはわからないが、これは地元のルールであって、

子供ながらの地域との小さな関わりでした

 

ときに嫌な思いで叩かれたり、無視をされたり、ふざけておもいきり叩かれたり、

いろいろなタッチのなかでも、おじさんはいつも笑って手を差し出してくれます。

そんなおじさんを横目にどんどんと成長していく私たち。

中学に入り少しずつその行為がなんだか恥ずかしくて

おじさんが立っている方向からわざとそれて帰ったり、、。

その距離は徐々に離れていきました。

高校に入り通学路が大きく変わり、いよいよおじさんに会うこともなくなり、、

 

専門学校へといったとある夏の日。

たまたま小学校の近くを通っているとテニスボールがコロコロと転がってきた。

そちらに目をやると、そこにはあの頃に感じた大きな背中が

ぎゅと縮こまってしまっていた「おじさん」がいた。

お孫さんとキャッチボールをしていた「おじさん」にボールを投げ返すと

「ナイスボール」と元気な声が返ってきた

気づけば「おじさん」の方へ足が向かっており、初めて自分から手を開いていた

「おじさん」はニコリと笑い手を広げた

手がぶつかった。

それはタッチではなかった

 

「おじさん」は私の手をギュッと握りしめ、

テニスボールをそっと地面に置きもう片方の手もかぶせてきた

「おじさん」が私の目をしっかりと見て言う

「君はいいキャッチャーだったね。私は好きだったよ」

あまりに唐突な内容に一瞬困惑したが、

鮮やかにあのんころの記憶がよみがえってきた

 

小学生当時、私は地元の少年野球チームに参加しており

当時はまだ小柄で華奢だった肉体とはにつかわぬキャッチャーをまかされていた。

ポジションに対しての称賛などはなかったが、自分なりに責任をもって臨んでいた。

近くの運動公園で開かれている大会に「おじさん」がよくよく来ては

グランドの隅からこそっと覗いていたことを思い出した

挨拶しか交わしたことのない地元の一少年のことを覚えていてくれたことが何より嬉しかった

同時に思春期の自分の「おじさん」への行為がとても情けなく恥ずかしく、

ただ「ありがとうございます」としか言えなかった。

私の目に少し涙がこみ上げてきた。

「おじさん」を後にして20mほど歩いたころ

「君!!」っと振り向くと「おじさん」が私に向かいボールを投げてきた。

「ナイスキャッチ!!・・・・・・それは君にあげるよ」

「おじさん」は笑顔でこちらを見ていた。

それからしばらくして「おじさん」が亡くなったことを知った、

家の前に行き初めて苗字を知った。鮮やかな青紫の紫陽花が咲いていた。

 

時は現在に至り先ほど買い物がてら小学校の近くを通り過ぎたとき

何の気なしに入った横道の一軒家に綺麗な紫陽花が咲いていた

ふと手の平をかざせば「パチンっ!!」と大きな音がしそうだった

見上げれば青々とした空に黄色いボールが放物線を描いていくのが

見えるようなそんな紫陽花の季節の話をお届けしました。

 

いや~~我ながら感慨深い出来事でしたね。

幼少期の出来事はいつまでたっても自分の中の小さな宝箱のようなものにはいってるものですね

そんなこんなで今日はプラダバッグの紹介です。

 

ちょっと写真が見えずらいんですけど

「プラダ」のナイロンショルダーです

今時期雨なんかでも大丈夫な感じの素材ですね

ちょっと差をつけたい雨の日バックって感じでご用意してまーす

 

 

 

 

 

Under その他
店舗のご案内

      ◆ 営 業 時 間 ◆
    <午前10時~午後7時>
      ◆ 定 休 日 ◆
    <月曜・第三火曜日>
    <Tel / 03-3778-7887>
    東京都品川区大井1-43-9

    <大井町駅より徒歩7分>
    <三ッ叉バス停より徒歩2分>
    <銭湯すえひろ湯の前>

2012年6月
« 5月   7月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
カテゴリー