街道歩き14回(最終回)

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第十四回(最終回) 石那田~日光駅

 

いよいよ日光街道てくてく歩きも最終回、というか今回で終われるか、何せ石那田から日光駅まで20キロ近くあるんで、、。

いつものように6時に家を出ます。そしていつものように上野6時49分発宇都宮線快速ラビットに。汽車タイプ座席に座りたいので一号車に乗り込みます。ただし、今日はサラリーマン氏が残り二つの座席に座ります。ま、仕方ないですね、平日の通勤時間帯ですから。

宇都宮には8時15分着、曇天の宇都宮駅前から石那田に向けてバスに。9時15分石那田バス停から歩き始めです。ここから終着日光駅までは、大きな広い通りはあまりないようで、杉並木で土手状の道をひたすら歩いていきます。

いやあそれにしても紅葉の見事なこと、息を呑むような真紅のモミジに目を奪われ、何度か立ち止まってはデジカメのシャッターを押します。

刈取りの終わった田は土色を見せ、冬への準備に入っています。リンゴ畑には通行する人が手の届く位置にかなりの数のリンゴが残っていて、これはリンゴジュース用なのか、、、と勝手な想像をめぐらせて通っていきます。

道幅が狭くなりその割には車の通行量はけっこうあり、江戸から数えて19番目の宿場という大沢宿付近も通過、二、三十分気の抜けない歩行が続きます。とりあえず大沢並木まではこの調子で行くようですね。

連れの夫とは、昨日町会で行った防災訓練の話題が取り上げられ、喧々諤々?議論を続けます。私たちは自営業ですから、通常はほぼ二十四時間一緒の生活、まあよくもそんなに一緒にいて話すことがあるわねえ、と友人たちに揶揄されますが、同い年ですから、似たような視点で物事を見るので、つきない議論ができるのかも、、。

12時になろうかというところで下水無地点に到着、お腹もすきましたし、三時間歩き通し、休みたいですしお昼を食べたいです。見つけましたよ、お蕎麦屋の登り旗。ただしそのお蕎麦屋さん、行けども行けども、、まさか狐に騙されたか?と思い始めたころ、灯りの灯った山鹿風の建物が。ありました、ホっ!

知る人ぞ知るという店なんでしょうか、それなりにお客さんが入ってますよ。ちょっと精をつけたいので、気張って鴨南蛮なんか頼んじゃいました。女性ばかりで切り盛りしているお店で、明るい雰囲気が良かったですね。

さあ後半戦、気合を入れて何とか今日中に日光駅に、、。

この辺からはひたすら杉並木のほの暗い道を歩いていきます。それでなくてもこの日は曇天で陽射しはなく、ほの暗さはなお一層というところです。

並行して走っている関東バスの停留所ごとに、あと何個あと何個と自分を励ましながら歩きます。森友地区を抜けると、その大きさで人が四・五人中に入れるとして名づけられた通称“七本.桜”の巨杉が。

四、五人中に入れるということでしたが、それはそれはすごい太さと高さで“七本桜”に納得です。そしてついに見えてきました東武線の線路、フー!高架になった東武線を潜りしばらくで下今市です。

ようやく町の賑わいが、、、コーヒーブレークと期待しましたが、商店街?にはそれらしきお店はありません。人がいないんですからコーヒーどころではないですね。仕方ない日光まで我慢しましょう。

「ここから十分ぐらい」という亭主殿の言葉を信じて歩きましたが、日光のにの字も現れる様子はありませんねえ。「何か間違ってるんじゃないの」と疲労困憊の私は夫を責め立てます。なんのことはない十分と一時間を間違えたとか、え?え?そんな、、。

この期に及んでの勘違いは応えましたねえ~。でも杉並木公園に一歩足を踏み入れ、素晴らしい紅葉に息を呑み、そしてしばし安らぎました。日本の秋は素晴らしい!

遂に到着しました!午後三時過ぎ夕暮れ迫るJR日光駅前に着きましたよ!

よく頑張りました、あの女子マラソンの銅メダリストさんではないけれど“自分で自分を褒めてあげたい”です。あの気持ちわかりますねえ。

東武日光駅前のKホテルのカフェへ、二階に上がるのがしんどいで~す。コーヒーブレーク中いろんな場面が蘇ってきます。

都心では行き交う車の多さに、まるで排気ガスの中を歩いているみたいでしたし、草加松原と太鼓橋も印象深かったです。粕壁宿から杉戸宿へはひたすら古利根川沿いを行き、東武動物公園に寄り道。梅雨の蒸し暑さにへばった体に英気をと称して川畔の鰻屋さんで鰻を頬張りましたっけ。

古河宿では遠回りして下野のレンガ工場を見に行き、見学不可の上、降り出した雨の中をトボトボトボトボ、着ているものも靴下もびしょ濡れになっちゃって、、。幸手宿では幸手在住で街道歩きを応援してくれた会社の後輩Tちゃんお薦めの、権現堂の桜を堪能しながらゆっくり栗橋まで、、。

その後輩のTちゃん、53歳という若さで突然の病で帰らぬ人に、、。街道歩き終了を知らせてあげられず残念無念!

また、暑さの中を歩いていた宇都宮近くでは、郷里に戻っていた友人が応援の車を出してくれました。農家のおばあちゃんがくれたキュウリや茄子を背負って歩いたことも、、。

どのシーンも私たち夫婦の財産です。日光街道てくてく旅、これにて終了です!

この回の記事を亡き友Tちゃんに捧げます。

 

2012/11/24 記

 

 

 

 

明大マンドリン倶楽部演奏会

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湯浅美代子

秋になり様々な芸術のお披露目となる演奏会が、各地で目白押しに催されている。

十月半ば、明治大学OB倶楽部の演奏会に出かけた。この倶楽部は作曲家で明大出身の古賀政男亡き後結成された倶楽部で、定期演奏はさんじゅ三十二回を重ねているという。

私がこの倶楽部の演奏会を聴くのは私は今回が三回目の参加で、すっかりマンドリンの音色に魅せられてしまった。

マンドリンを中心に他の楽器との七十名からなる大編成のオーケストラで、明大OBのアマチュアとプロも加わり、最高齢八十三歳から卒業間もない若き演奏家たちと、幅広い年齢層のビッグバンドだ。

第一部は「世界の名曲、思い出の旋律」と題して、「枯葉」「恋人よ我に帰れ」「赤とんぼ」「ヤシの実」等懐かしい名曲が演奏された。

第二部は、人気のジェロが歌う「日本の心」と題して、「夜明けの風」「上を向いて歩こう」「悲しい酒」等私たち日本人の心を打つ名曲が歌われた。ジェロは、声量も歌唱も申し分なく人気に納得だ。

ただ私だけではないと思うが「悲しい酒」はやはり美空ひばりには敵わないなと思った。

十五分間の休憩をはさんで二時間半はまたたく間にすぎ「丘を越えて」と明大校歌のアンコールで終演となった。

皆満足な顔で、勿論私も大満足の秋の一日となった。

 

 2012/11/17 

血に繋がる故郷

mitake Posted in ひとこと通信
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二十年ぶりに郷里の福島県いわき市に、兄姉達と行ってきました。郷里と言っても、六女で末っ子の私は、生後半年ほどから東京暮らし学齢までをこの地で過ごした兄姉とは、記憶や思い入れといった点で温度差はありましたが、それでも母の故郷であり、ご先祖の墓所や遺物の残るこの地は、やはり忘れがたい場所になっています。

一昨年お世話になった叔父が亡くなり、お墓参りをと思っていましたが、3:11の大地震もあり訪問を延期していました。幸い郷里の家々は壁に多少のひびが入った程度の損傷で済み安堵しました。

学齢までをいわきで過ごした兄姉ですから、いわきの海には格別の愛着があるようで、勿来を過ぎた辺りから完全にいわきモードに突入、湧き出した記憶の泉に次々に在りし日の暮らしが映し出されてきたようで、言葉も「故郷の訛懐かし、、」状態に。

それぞれで抱える用事を済まし、午後の「スーパーひたち」で上野を出て4時過ぎに湯本に到着。シャトルバスで今夜宿泊する「スパリゾート・ハワイアンズ」に向かいます。

一昔前までは常磐炭鉱の基地だった湯本は、「スパリゾート・ハワイアンズ」ができた現在、いわき一の一大観光スポットに大変身!往時を知る者として感慨も一入といったところです。

バイキングの夕食後、お待ちかねのショータイムで一時間の「フラガール」の踊りを楽しみます。フラガール誕生の秘話は、映画「フラガール」にもなり、その後3:11でスパリゾートが被害を受け休業を余儀なくされ、復活までの期間を全国キャラバンで乗り切ったことで、全国からの熱い支援を力に復活したショーは楽しさいっぱいでした。

 

姉達と大浴場で常磐炭鉱なごりの湯を楽しんだのもいい思い出になりそう、、、。

翌日は親戚周りを予定していて、夕方には帰京する日程ですからのんびりしてはいられません。まずは泉の母の生家へ向かいますが、仮設住宅群が目に飛び込んできて、ここは被災地なんだと改めて思わされました。

途中兄姉が通った小学校に立ち寄ります。区画整理がされたという泉の町、タクシーは高台へと向かい、姉はしきりとこんな所じゃなかったと言うのへ、運転手さんは学校が移転したことを伝えます。

今回の旅で、私は集めていたベルマークと未使用切手を、兄姉たちの母校へ届けることを目的にしていましたので、皆.が写真などを撮りあっている間に、祝日で対応する人のいない学校のメールボックスに、説明書きを添えて入れます。

母の生家に近づくと兄姉たちの興奮は抑えきれないものとなり、もうすぐ川だとか、瀬戸山はとか、、。

十年一昔とは言いますが、二十年以上の月日が経てば周辺環境が様変わりするのは当然で、馬小屋も納屋もなくなり、敷地前にはアパートが建つという変貌に、改めて月日の流れを実感する私たちでした。

従兄弟たちに招かれ祖父母や故人たちの写真が掲げられた仏間で焼香後、用意してくれた手料理をつまみながらしばし来し方を語り合います。

従妹ということで、面差しや体形などにどこか血の繋がりを感じないわけにはいきませんでしたし、それぞれがそれぞれの境遇で過ごしてきた日々があったことも理解でき、母たちの代のちょっとした行き違いで疎遠になっていた日々があったことなどもうどうでもよくなっていました。

ご先祖の墓所へ墓参に向かい、埋め立てられコンビナートとなった郷里の海は遥かになっていて、むしろこのことでこの地域は3:11の津波から逃れられたとか。ただ庄屋の瓦屋根が無残な姿になっていましたし、墓所も土壌が隆起したり墓頭が折れたり、震災の現実を垣間見ることになりました。

今回旅のもう一つの目的は、私の生誕の地を訪ねることで、山の中の一軒家だったというその場所は、六十有余年経った今は影も形もなくなっていて、現在は親子連れが安心して遊べる公園になっていました。

この場所に立ち、“血に繋がる故郷”を実感した旅になりました。

 

2012/11/14 記

街道てくてく旅 ⑫

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てくてく⑫ 宇都宮~石那田

 

猛暑で中断していました日光街道てくてく旅三か月ぶりに再開しました。今回は宇都宮から石那田までのおよそ14キロを歩く予定ですが、、。

宇都宮へはいつものように上野からJR快速ラビットで1時間20分、街道歩きの起点となる東武宇都宮駅まで、県庁、東武ホテルや裁判所の前を通り30分かけて到達。9時のスタートになりました。

 

宇都宮は栃木県の県庁所在地だけあって、交通量はかなりありますね。そうそう宇都宮の地名の由来には諸説あるようですが、私的には「一ノ宮二荒山神社」の一ノ宮が転訛したとされる説を採用したいと思います!ハイ!

昨夜来の雨が上がって今日は快晴で暑いくらい、ここからは途中電車で引き返すことはできなくなりバスで戻ることになります。バスは一時間に数本という運行状況ですから、ひとバス逃がすと後の手当てがうまくいかなくなります。ピッチを上げて歩かないと!

朝食はコーヒーとロールパン一個でしたから、そろそろお腹に何か蓄えないと歩くのに支障をきたします。何せ今日は長丁場ですからね。折よくコーヒー屋さん発見、入ります入ります、食べます食べます、飲みます飲みます!

ミックスサンド、goo!ブレンドコーヒー、goo!さあ歩きましょう。ススキが土手を覆うカマ川を渡り、POST OFFISと書かれた可愛らしい郵便局発見!そうだ栃木県ならではの限定版切手があるかも、、、。

ありましたよ栃木ならではの切手をゲット!そうです皆さんにも想像がつくあれです、そう餃子といちごと日光東照宮、中禅寺湖、戦場ヶ原、、、!こういう特産品や名所があるのは強みですね~。

下戸祭~中戸祭~上戸祭と日光道は戸祭地区を通過していきます。その間.県立体育館、国立栃木病院、養護学校などが次々に登場します。将軍の日光社参の休息所となっていた真言宗光明時が道路沿いにあり、お参りしていくことに。

光明寺を過ぎると、日光街道旧道と新道が交差する地点に。ここからは桜並木が続き、日光連山も遠望されナイスな景観の道を歩くことに。といい気分で歩いていたところ、ぬぬ、、、あれは??スーパーマリオの城と見まがう可愛い建物出現!勿論、マリオの城な訳ないですけどね、、、。

続いて民家の庭先に登場したのはハロゥインのかぼちゃ??ぬぬ、これも違いますよね~!あ~でも単調な街道歩きに一興でしたね!

間もなく見えてきたのは智賀都神社の対の大ケヤキ。これはパワーをもらえそうですね~。苔むした幹回りに触れると、ひんやりとして気持ちよかったですね~。

さてそろそろ腹時計はランチを要求してま~す。お蕎麦屋さんを探せ!百メートルぐらい先にお蕎麦屋さんの看板が、、おっとこちらには中華チェーン店の看板が、、、

おっとその前に、「徳次郎城址」とかって、、、。せっかくだから寄って行こうかとは思いますが、入口はほの暗い森状態ですが、、大丈夫でしょうか??

真昼の明るい状況なんですが、入口真っ暗ですよ~、こわごわこわごわそろりそろり、下草は湿っぽいですし、陽射しがあまり入ってこないし、、。「本丸跡」ってこの辺にあったんだねとの3連れの言葉に、もう撤退姿勢でへっぴり腰の私は回れ右してもう戻る気十分

その瞬間「ギャ~」蛇です、蛇が動きました。もう私はすっ飛びで来た道を戻ります。「フー!」でも落ち着いて考えたら、来年は巳年、何か縁起がいいことが有るかも、、。って思うことにしましょう。さあお昼にしましょう!

手打ちやや硬めのお蕎麦はなかなかいける味ですよ、それにしても天ぷらも頼んだんですが、どこのお店もすごい量です、もうお腹いっぱ~い!

さあ杉並木にさしかかりましたよ、日光って感じがしてきましたね。時間は2時半ちかくになっていて、目指す石那田までバス時間には間に合いそうにありません。無理しないで見えてきたバス停でバスに乗るとしましょう。

 

 

 

2012/11/02 記