7月GM 石井誠子『生活へのこだわり「ナウ」』添削

mitake Posted in 文章教室
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夫が逝って五か月が経った。時間とは無情でまた寛容だとつくづく思う。部屋のあちこちも少しづつ変わり始めた。食器の数、クロゼットの中、テーブルの位置等、、。そして私の外出時間も、、。

以前は夕食の前には帰宅することを心がけていたのだが、先日は三時に家を出て一人で六本木まで出かけた。句会や相手の都合ではそんな時間帯の外出もあるが、三時と自分で決めたのは意外だ。 混んでいると聞いていた「ポンペイ壁画展」だったので、人が引いた時間をと思い三時にしたのだ。お陰で作品にゆっくり対峙でき楽しめた。

帰途外食と考えたが、華やかなレストランに独りの自分の姿を想像して止めた。それに、夫とのデートは住まいが一ノ橋ということもあり麻布十番でよく飲んだのだ。男だったら絵になるのにとつぶやきながら、駅ビルでお弁当を買い家で遅い夕食を済ませた。

それにしてもこの充実感はなんなのだ?心的過程で言えば、希望→計画→実行→達成の結果?そんなに小難しく考えなくてもいいのだが、私はいつも誰かと一緒でないと楽しくない。これは大家族で育ったせいか、夫が常に側にいたせいか、今は突然訪れた独りの自由な時間に戸惑っているのだろう。

しかし身近な人の訃報を毎日のように聞かされると、戸惑っている時間はない。寂しいけれど、残酷な言い方をすれば至福の時なのかも。夫がくれた贈り物なのか、、。そこで脳も足腰も大丈夫と思うこの四・五年を心の欲するままに暮らしてみようと思う。五十年余の母と妻の生活で本当の自分を見失っているのかもしれぬ。いや、そのことすら気づかず暮らし終えていくのかも、、。

遅まきながら自分探しと自らに言い聞かせ、心動かされるものを知ったら、まず重い腰を上げ、一人遊びにも慣れよう。これが新たな生活へのこだわりだ!

 

寸評 タイトルしゃれてますね!よくよく自分と向き合っての現在のベストアンサー?ですね。石井さんの人生に対する考えを、私、常に参考にさせていただいています。