お雛様効果!

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ここ数年、我が家では立春を過ぎるとひな人形を玄関に飾ってきました。ところで我が家はショップを営業していて、今年からは娘の提案を受けて、折角の手作り木目込み雛人形お店にいらっしゃるお客さんや道行く人たちに観てもらおうと、思い切ってショーウインドウに飾ることにしました

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お雛様を見たお客さんたちから、「まあ可愛い」「きれいね」などと声がかかります。道行く方の中には、わざわざ店頭まで歩を進めて観ていかれる方も、、。この木目込み雛人形、二十八年前に娘が生まれたことを祝って作り出し、かれこれ五、六年かかって作り上げました。

ぶきっちょ?では誰にも負けない、、?変なところで自負できる私が、かなり頑張って作り上げたお雛様なので愛着も一入なんです。毎年毎年飾ってはしまいを繰り返すうち、ここ数年は娘が飾ってしまってを一手に引き受けてやってくれるようになりました。

この時期、日本各地でお雛様たちが一年一度の晴れ姿を見せていて、吊るし雛や何十段もの段飾り雛などが連日話題となって、ニュースなどで報じられています。私どもの店は街の小さなショップですから、そんな大がかりなことはできませんが、精いっぱいのおもてなしでお客さんたちをお迎えしています。

お客さんや道行く人たちが笑顔になり会話も弾む。これぞお雛様効果!これからも街の小さなショップならではの工夫を重ね、お客さんをお迎えしたいと思います。

 

付記 この作品は360字版で、2/27「東京新聞 発言欄」に掲載されたものに、若干の加筆修正を加えたものを掲載しました。

2013/02/28 記

スマホに挑戦?

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4年7か月使った携帯が、基盤の劣化とかでダウン!修理代等各種事情を総合的に、、、と格好つけて言ってみましたが、旦那も買い替えたいとかで、流れは一気に買い替えへ、、、frown

私が使っていたのは某社の「らくらくホン」なる機種で、大きな文字が何より助かり、電話、メール、写真、万歩計に情報少しと、実にシンプルな作りが良かった。生きていくうえでの最低限はこれでカバーできていました。

二年ほど前には、一時姿を消し捜索願を出した代物で、三日ほど彷徨い、地下鉄銀座線の上野駅詰所に届いていました。愛知万博のマスコットやにゃんこにワンちゃんなどのストラップが付いた見慣れた携帯を、落し物忘れ物ケースで見たときは、胸に熱いものがこみ上げましたよね~!

旅好きの私のお供をして、北は北海道から秋田、福島、彦根、そして沖縄まで行ってくれましたし、家への連絡など大いに役立ってくれました。

こんなこともあったんで結構愛着のあった携帯だったんですが、基盤がアウトではねえ~、、crying

新らしい携帯は何と今様でスマホ、スマートフォンですよ!この私が、、、。旦那と娘とで駅前の大手電機店へ出向き探すは探すは、、。今までと同じでいいという私の主張は、、、これから長く使うんだからと便利さを優先され、あっさり却下!

それにしても、アプリとかダウンロードとか、ンなもん分からん!

来年はスマホとの戦いになりそうだが、いつか必ずスマホをスマートに使いこなして見せるぜ?(って、すぎちゃん風に、、)frown

 

2012/12/15 記

 

血に繋がる故郷

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二十年ぶりに郷里の福島県いわき市に、兄姉達と行ってきました。郷里と言っても、六女で末っ子の私は、生後半年ほどから東京暮らし学齢までをこの地で過ごした兄姉とは、記憶や思い入れといった点で温度差はありましたが、それでも母の故郷であり、ご先祖の墓所や遺物の残るこの地は、やはり忘れがたい場所になっています。

一昨年お世話になった叔父が亡くなり、お墓参りをと思っていましたが、3:11の大地震もあり訪問を延期していました。幸い郷里の家々は壁に多少のひびが入った程度の損傷で済み安堵しました。

学齢までをいわきで過ごした兄姉ですから、いわきの海には格別の愛着があるようで、勿来を過ぎた辺りから完全にいわきモードに突入、湧き出した記憶の泉に次々に在りし日の暮らしが映し出されてきたようで、言葉も「故郷の訛懐かし、、」状態に。

それぞれで抱える用事を済まし、午後の「スーパーひたち」で上野を出て4時過ぎに湯本に到着。シャトルバスで今夜宿泊する「スパリゾート・ハワイアンズ」に向かいます。

一昔前までは常磐炭鉱の基地だった湯本は、「スパリゾート・ハワイアンズ」ができた現在、いわき一の一大観光スポットに大変身!往時を知る者として感慨も一入といったところです。

バイキングの夕食後、お待ちかねのショータイムで一時間の「フラガール」の踊りを楽しみます。フラガール誕生の秘話は、映画「フラガール」にもなり、その後3:11でスパリゾートが被害を受け休業を余儀なくされ、復活までの期間を全国キャラバンで乗り切ったことで、全国からの熱い支援を力に復活したショーは楽しさいっぱいでした。

 

姉達と大浴場で常磐炭鉱なごりの湯を楽しんだのもいい思い出になりそう、、、。

翌日は親戚周りを予定していて、夕方には帰京する日程ですからのんびりしてはいられません。まずは泉の母の生家へ向かいますが、仮設住宅群が目に飛び込んできて、ここは被災地なんだと改めて思わされました。

途中兄姉が通った小学校に立ち寄ります。区画整理がされたという泉の町、タクシーは高台へと向かい、姉はしきりとこんな所じゃなかったと言うのへ、運転手さんは学校が移転したことを伝えます。

今回の旅で、私は集めていたベルマークと未使用切手を、兄姉たちの母校へ届けることを目的にしていましたので、皆.が写真などを撮りあっている間に、祝日で対応する人のいない学校のメールボックスに、説明書きを添えて入れます。

母の生家に近づくと兄姉たちの興奮は抑えきれないものとなり、もうすぐ川だとか、瀬戸山はとか、、。

十年一昔とは言いますが、二十年以上の月日が経てば周辺環境が様変わりするのは当然で、馬小屋も納屋もなくなり、敷地前にはアパートが建つという変貌に、改めて月日の流れを実感する私たちでした。

従兄弟たちに招かれ祖父母や故人たちの写真が掲げられた仏間で焼香後、用意してくれた手料理をつまみながらしばし来し方を語り合います。

従妹ということで、面差しや体形などにどこか血の繋がりを感じないわけにはいきませんでしたし、それぞれがそれぞれの境遇で過ごしてきた日々があったことも理解でき、母たちの代のちょっとした行き違いで疎遠になっていた日々があったことなどもうどうでもよくなっていました。

ご先祖の墓所へ墓参に向かい、埋め立てられコンビナートとなった郷里の海は遥かになっていて、むしろこのことでこの地域は3:11の津波から逃れられたとか。ただ庄屋の瓦屋根が無残な姿になっていましたし、墓所も土壌が隆起したり墓頭が折れたり、震災の現実を垣間見ることになりました。

今回旅のもう一つの目的は、私の生誕の地を訪ねることで、山の中の一軒家だったというその場所は、六十有余年経った今は影も形もなくなっていて、現在は親子連れが安心して遊べる公園になっていました。

この場所に立ち、“血に繋がる故郷”を実感した旅になりました。

 

2012/11/14 記

十五夜の月

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台風一過10月1日明け方、窓越しに明るい光が射し込み外へ出

てみると、東の空にたなびく雲の帯を従え、十五夜の月が輝いて

いました。

 

それはそれは神々しいまでの輝きで、先ほどまで荒れ狂っていた台風

17号の風はどこへ行ったのかと思うほど。

 

「月光値千金」思いがけない天からのプレゼントに、しばらくその場に

佇んで十五夜の月を愛でました。

 

パソコンも携帯電話もない千年も前の人々は、自然に敬意を表し自

然に従順に生き、情景を歌に詠みそうした時を楽しんでいました。

 

現代の人々も、せめてこんなに美しい月夜には、自然に抱かれ心を休

めてはいかがでしょう。

 

2012/10/19 記

 この作品は、10月5日東京新聞読者投稿欄「発言」に掲載され

たものです。

邂逅の「苔の森」

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「明日はどこの山に行くの?」

登山前日の夕食時、娘の質問に「八ヶ岳の麦草峠から高見石にしようかな」と父の答え。さらに続けて「ここ、小さいときに皆で行ってるんだよ」

私もきつかったあの時の登山はしっかり覚えている。残雪でぬかるむ登山道に手を焼き、寒さもありとにかくしんどかった。

「ふ~ん、な~んにも覚えてないけど」「お父さんがYちゃんをおぶって、お母さんとお兄ちゃんが荷物を持って登ったのよ」

「あのときは失敗した、あんなに雪が残っているとは思わなかったから、、、」山オタクの夫としては不覚なり!

出かけたのは二十五年前の五月はじめ、町は春本番にウキウキの頃ですからね、無理もないですし、山はまだまだ春眠中だったんですね。

二十五年前というと娘は三歳、雪道を歩きとおせるわけもなく、、。息子にしても五歳、皆の荷物を持ってよく歩きましたよ。やっぱ男の子ですね~!

その夜、当時の写真を探し出してきて見てみました。とにかく雪道は寒そうで歩きにくそう、どうしてこんな時期にこんな山へ行ったのか??

アルバムのページをめくっていくと、残雪で悪戦苦闘の「苔の森」を経て高見石へ、そこから下って白駒池畔で撮った写真には、青と赤、おそろいのミッキーマウスのジャージを着た子供たちが笑顔で収まっています。寒い疲れた、、って、ああだこうだ言ってた途中の山行が、まるでなかったような子供たちの笑顔がいい!

さて月日は流れ、三年前、ワーキングホリデーで一年間カナダに滞在した娘。バンフで就いた仕事は氷河ツアーガイド。三つ子の魂百までも、、っていうんですか、やっぱり自然相手の仕事に就いたわけです。一年間のワーホリ後、帰国した娘はすっかり山ガールに!

どこか行こうかとなると、山!

標高2000Mを超える麦草峠から丸山への登山道には、アザミ、ウスユキ草、ゴゼンタチバナ、リンドウなど高山植物が咲き乱れ、鹿侵入防止柵のネットを潜って登山開始。

丸山までの樹林帯は、ダケカンバやシラビソ、樅、ブナなど針葉樹にはじまり、倒木から岩石いたるまでびっしりと苔に覆われていて、ここがいわゆる「苔の森」です。

 

苔が覆っているので滑りやすく、足元によりいっそう気を配るのでかなり気疲れします。小一時間で2329Mの丸山に、展望のきかない丸山でしたが、小さな祠が祀られ手を合わせます。きれいな蝶も留まっていて、息を整える間に蝶を撮ろうとパチリ!さあ高見石まではあと一息。

人の声が聞こえ高見石小屋の屋根が見えてきました。ここまで登り下りですれ違うパーティーは数えるほどでしたが、小屋から高見石にかけてかなりの登山者がいますねえ。様々な方角から集まってきた登山者なんでしょう。

 

高見石で高みの見物、と呑気に構えていましたが、いやいやどうして這いつくばっていくような塩梅に冷や汗ものでしたね。でも眼下に樹林に囲まれた白駒池が見え、樹林の緑と池の深い蒼さが素晴らしく、ここまでのしんどい山歩きの疲れなど吹っ飛んでしまいました。

 

高見石小屋に戻り、名物の揚げパンを戴きます。黄な粉とココア味共にうまい!姉が欲しがっていたカウベルもゲット、さあ白駒池めざしひたすら下っていきましょう。

白駒池には登山に来たとは思えないような初老の方々や、スニーカー姿の若い方やご婦人などが池の周りを散策しています。下の駐車場からは散策気分で来られますからね。麦草ヒュッテには14時過ぎに帰着、25年目の「苔の森」は、気分爽快に終了です!ああそうそう、池畔で二十五年前の構図と同じに娘の写真をパチリ!

 

余談になりますが、登山開始時に両腕にリラックマという黄色い虫よけバンドをして登山に取りかかったんですが、これがなかなかの効き目だったんですよ。おかげで蚊にもさされませんでしたし、虫も寄ってきませんでした。実はこのリラックマ、当店で販売している虫よけバンドなんです。

宣伝ついでにもう一つ、首には同じく当店で販売中のクールネックという冷却グッズを巻いて行ったんですが、濡らした個所はすぐ乾いてしまいましたが、汗は流れたりせずいい感じでしたね。

 

2012/08/30 記

北緯四十度のトウキビ

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秋田県男鹿半島の最北端に位置する入道崎、修学旅行以来四十五年ぶりにその入道崎に行ってきました。

日本の灯台五十選にも選ばれているという白黒縞模様の入道崎灯台。四十五年前の記憶はないに等しく、こんな縞模様だったのかと改めてしみじみ眺めてしまいました。

灯台とかって大好きで、私的には絶対最上部まで行かなきゃ気が済みません。そこで最上部に上って眼下を眺めると、夏空の下、穏やかに海原を広げる日本海が望めて何とも気持ちいい!

 

この海原の向こうには朝鮮半島があり、そして大陸に繋がっているのだと思うと、ちょっとグッとくるものがありますねえ。

灯台下には緑の芝生が広がっていて、まるでイースター島のモアイ像のような、北緯四十度のモニュメントが立っていて目を引きます。

 

今回秋田行きを思い立ったのは、会社の同僚で秋田在住のN子を尋ねたいと思ったから。やはり同僚だったMちゃんを誘ったところ、二つ返事でOKがでて、せっかくなら竿灯も見ちゃいましょうとなり、その日程で実行となったわけです。

六十代に突入し、この先の予測がつかない昨今.、親類縁者、知人友人それに愛する動物たちが、思いがけぬ時に命を終えてしまい、心にぽっかり穴が開いてしまうことが度々で、、、別に厭世気分になっているわけではないんですが、これからはできるだけ、会いたいと思う人にはできる限り会い、行きたいと思うところにはなるべく行っておこう。そんな動機から、今回の秋田行きを実行に移したというわけです。

寝台車に乗ったことがないというMちゃん、それではと夜行寝台発翌日最終新幹線で帰京という“弾丸ツアー”の決行になりました。

寝台特急「あけぼの」は、N子の待つ駅に定刻に到着。小さな木造駅舎の改札には、手を振って待つN子の姿が見えます。

私とは八年ぶり、Mちゃんに至っては、会社を辞めて以来実に三十余年ぶりの再会で、ひとしきり賑やかな再会劇が、東北の小さな駅頭で繰り広げられました。

 

 

 

 

竿灯を見る予定もあり、逆算して秋田駅には遅くとも四時までには着いていたい。N子はその辺の事情を察して、効率よく私たちを案内してくれることに。

まずは、今回一番の目的地、男鹿半島寒風山へと向かいます。ああこの景色、この景色。四十五年前に見た景色と再会です。山肌に咲き競う山百合の群落が、日本海を渡る風に揺れとてもきれい!

展望台から眺める八郎潟干拓地は、半島の三分の一の広さだとか。八郎潟湖は遥かに手をかざして臨める位置にあり、干拓の膨大な面積に、何ほどかの労力が費やされたのか見当もつきません。

 

 

   

話は入道崎に戻り、北緯四十度のモニュメントに腰掛、N子が畑で採って茹でてきてくれたトウモロコシを頬張ります。

サルに狙われ三分の一が食べられてしまったという曰くつきのトウモロコシは、サルたちも多分大満足したと思う甘さで、私たちをもてなそうと、心を砕くN子の心の温かさもいっぱい詰まった、北緯四十度のトウキビを、思いっきりはじけていただきました!

 

 

2012/08/16  記

 

桜木町NOW

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こんにちは、息子の母です!?

久しぶりに多摩川を渡って、桜木町へ行ってきました。

本牧に会社時代の友人がいまして、

彼女とはもう三十年からの付き合いなんですが、

彼女が大井町へ来たり私が横浜へ行ったり、

ここのところそんな付き合いをしています。

 

昨日は、8月に二人で秋田へ行く予定なんですが

その打ち合わせで、、

秋田にはやはり会社時代の友人がいて

友人と会った後、竿灯を楽しもうという企画なんですね。

ちょっとした東北応援ツアー、、?

 

青空煉瓦街、陽光を浴びたランドマークタワー

東京とはちょっとばかし空気感が違いますねえ~

 

それではしばしみなと横浜の景色をお楽しみください!

 

2012/07/03 記

枇杷

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植物系の育成がイマイチの我が家ですが、育成から10年近くたって枇杷が実りました。う

れしいで~す。

この枇杷、亡き母が植えていってくれたものだと記憶してますが、母が亡くなってすでに17年経つ

ので今になって実ったことにただただびっくりです。

皮をむいて食べたところ少し酸っぱさはありましたが、甘みは十分あり、ただむいて食べるだけではち

ょっとつまらないかな、、。

まあ経緯はどうあれ、せっかく実をつけて十分食べられますから、枇杷ゼリーを作ってみようかと思っ

てます。ただし製作者は質屋の亭主殿で~す!?

乞うご期待!

そうそう大事なことを忘れてました。枇杷って相当薬効のある植物だそうですよ。

 

 

2012/06/08 記

母の日です

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東京から自転車で札幌を目指して輪行中の息子から、カーネーションが届きました。

まさか花が送られてくるなんて考えてもいなかったんで、うれしいやらこそばゆいや

ら、、。

でも行動に移すその気持ちは本当にうれしいcheeky早速ありがとうと素直にメールしちゃい

した。

この話には続きがあり、というか、この後勤めを終えて帰宅途中の娘から「母の日だか

ら何か買ってあげようと思って」と連絡が入り、帰宅した娘から初夏向けのポロシャツ2

枚ゲットしちゃいました。2枚とはまた奮発してと思っていたら、そこはしっかり者の娘、

「私も着るから、、、」

ともあれ30歳の息子と28歳の娘からのプレゼントに、心温まる一日となりました。cheeky

 

2012/05/12 記

 

追伸です

今朝早朝に届いた息子からのメールです

青森目指している途中にあまりの素晴らしさに写メしてきた岩手山の全貌です、お楽しみ下さい。

 

 

 

お悔やみ

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町内のお悔やみで、知人友人らと会場となった寺へ。長い焼香の順番を待つ間、誰かが発した「あ…、金星だ!」の言葉に、夜空を見上げると、正しく金色に輝く金星が見えました。境内には中木の枝垂桜も咲いていて、淡い桜色で夜の闇に浮かび上がっていました。

「桜舞う、星が輝くこんな季節に逝きたいもんだねえ」と、誰いうともなく声が上がる中、間髪を入れず「日ごろの行い次第だよ!」と釘刺す言葉も飛んできて、お悔やみの席というのに笑い声が漏れ、故人は江戸っ子、明るく見送ってくれていると喜んでるわよと、大甘弁解にそうだそうだと締めの言葉が。

でも実際、皆さん、案外と本音かも。私も日ごろの行いに今一度注意し、花咲き星の輝く夜に、皆さんに弔ってもらっていただけるような人生を送っていかなければと、改めて思う春の夜でした。

合掌!