ムシャムシャコリコリ

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 文章教室GM 9月の秀作

         落合トシ子 「ムシャムシャコリコリ」

 

「くださいな」「いらっしゃい」「何にしますか?」七十五年も前の幼友達とのお店屋さんごっこの会話です。

生まれ育ったのは群馬県高崎、昭和十年代の高崎ではサンドイッチもオムレツも食べたことがなかったし、食事のメニューなんてしゃれた言葉も知らなかった頃です。

ゴザを敷き、木の葉のお皿に赤い実や花びらなどを載せお箸は枝。色合いも良く、こぼれんばかりの盛り合わせのお料理の出来上がりです。

「はいどうぞ」「おいしいね」「ムシャムシャコリコリ」といっては食べる真似をした。「ご馳走様でした」こんな遊びを毎日のようにやっていた。

世の中は戦時中の食糧難時代、ただし葉っぱと木の実のこのお店屋さんは、お替り自由いくらでもできた!

お店屋さんごっこのメンバーはY子さんとKこさんと私の仲良し三人組三人とも末っ子で気が合った。

成人して嫁ぎ先が埼玉県、茨城県、東京都ばらばらになったが、同窓会で会ったり、巣鴨のお地蔵さんで待ち合わせをしたり、我が家にも来てもたっりして時々会うようにしていた。

月日を重ね、三人共後期高齢者となり、昨年はYこさんが体調を崩し入院した。Kこさんは視力が落ちてもう三年も会っていない。高齢者になると会うこともままならず残念でならない。

あの美味しかったお店屋さんの盛り合わせ料理を、今度は三人で本物を戴きたい。「ムシャムシャコリコリ」と言いながら、、、。

 

寸評 七十年ほど前の話になるんでしょうか、メルヘンいっぱいのお話ですね。私にもこんなことがありましたね。あの時の友達はどうしてるのかしら、、、

 

2012/09/08 記

猫ちゃん騒動顛末記

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先ほど所用があって外出したんですが、いやいや猛烈な暑さでした。ただ~し、今朝なんか窓を開け

た途端、お!涼しい?てな感じで、ちょっと息がつけましたよ。暑さももうあと一息か、、、。

 

さてこの三週間ほど、当店近辺で突如巻き起こった猫ちゃん騒動。我が家の飼い猫ウミにそ

っくりなにゃんこが現れ、ちょいとエサをあげたところ、連日お見えになる?事態に。”シメジ”と名付け

た黒猫は、しばらくすると白い小さな猫を引き連れて?くるようになりました。

 

白猫にも名前をというわけで、こちらは”シメジ”より更に細いことから”エノキ”!エノキはしっかりシメ

ジの行動を真似し、しっかりエサもいただきま~す?近所の方たちも協力的にエサをくれたりして、

「今日は来た?」「はい、只今お食事中!」なんて会話を交わしたりして、猫のいる風景を結構楽しん

でいたんですね。

 

でも残念ながら猫が好きな人ばかりではないのがこの世の常で、しばらくするとシメジがパタッと姿を

見せんなくなったんです。水をひっかけられたという実際の話からはじまって、交通事故に巻き込まれ

たのかとか、誰かに飼われたのかとか、虐待疑惑もささやかれ、、、。

 

そんな騒動の間も、エノキは朝に夕に子猫独特のか細い鳴き声でエサをせがみにやってきます。或

る日エノキが出入りする路地に罠が(中に入ると締まるゲージ)仕掛けられ、エノキは間もなくして仕

掛けにかかり捕獲されてしまいました。

 

仕掛けたのはNPO法人「横浜アニマルファミリー」の方で、話を聞けば通報者がいて、このまま放っ

ておくと、子供が増えていってしまうし、虐待や事故などもあり、捕獲して避妊手術をしてワクチンを

打ち、里親を見つけて飼ってもらうのが一番いいという話でした。

 

エノキのことを真剣に考えるなら、それが一番ベストな解決方法といえるようで、捕獲されて可愛そう

と情に流されてはいけないと仲間で納得!引き取ってくれと依頼されてもエサ代などはいただけない

という話に、息子はいくばくかのお金をその方に渡します。

 

翌日インターネットで「横浜アニマルファミリー」を開いてみたところ、この顛末が間違いなく書かれて

いて。、ノキの写真も掲載されていて一安心です。エノキよ幸せになるんだよ!それにしてもシメジ

は何処に、、?酷いことになっていなければいいんですが、、、

 

話変わって、秋近し、、で、木の温もりとコットンの優しさをということでアジアン雑貨を入れてみ

ました。お気にいっていただけるといいんですが、、、。

 

 

 

 

心太

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GM 7月 秀作

「心太} 

服部 佳子

 

さあ今年もやってきました、心太の季節の到来です。

あのツルッとした食感とのど越し、爽やかな酸味がたまらず、時々ふっと食べたくなるんです。

そういえば子供の頃、心太売りの小父さんというのがいて、その小父さんが来ると1、家から飛び出しては、水鉄砲に

似た箱型の筒より突いて出てくる蕎麦状の物をじっと見ていたものです。

筒に入れた時には塊だったはずなのに、突き出された時には、細長く透き通ったものが出てくるのが何とも不思議で、

飽かず眺めていました。

あの箱にはどんな仕掛けがあるのでしょうと、小父さんが来るたびに今日は何かわかるのではないかと、筒先ばかり

を見ていたものだ。

 

突き出してくれる筒先が見えそうで見えない、あ!と思った瞬間、器はいっぱいになっていて、またもやあの不思議を

突き止めるには至らず、その上その味の酸っぱいこと酸っぱいこと!

そんな日々が過ぎ、夏の終わり近くには、いつの間にか小父さんは来なくなっていた。

蒸し暑く気だるい午後の微睡の中で、夢ともつかぬ光景が、、。

 

自転車に取り付けた風鈴の音と共に、遠くから小父さんの呼び声が聞こえてくる。

トッコロテ~ン、トッコロテ~ン!

 

寸評 誰にでもある夏の思い出の一場面ですよね、ごくごく身近な素材でショートエッセイに変身しましたね。

 

 

日本の食卓

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文章教室 GM 7月の秀作

日本の食卓

湯浅 美代子

梅雨とはいえ、毎日うっとうしい日が続いているが、うっとうしいなんて言ってるうちが実は華で、梅

雨が明ければ一気に夏。ギラギラと太陽が輝き、暑さが容姿なく襲いかかってくる。そうなると、

「暑さで食欲がなくて」と、挨拶代わりの台詞が行き交うようになる。

ところが私ときたら、食欲がないなんて言うことはまずなく、夏のメニューに舌鼓を打つこと打つこ

と、、、。

 

一日の暑さを凌ぎ、やれやれと夕食の膳に向かう。当然冷え冷えの品がご馳走となって食卓に並

ぶ。

例えば素麺、透き通ったガラスの器に氷を浮かべ、胡瓜、青紫蘇、果物などの彩で食欲をそそる。

冷奴、冷麺、地方によって土地土地の特産を使った冷汁でご飯を食べる等、様々に工夫を凝らし

た食べ方をしている。

また冷えたものばかりでなく、温かい鰻、どじょう鍋、カレーライス等も、夏を乗り切るにはいい。

夏は料理ばかりでなく器や仕掛けにも一工夫あるのが楽しい。川床や屋上ビアガーデン、庭園で

ホタルを鑑賞しながらの食事など、自然の風もご馳走にしてしまう。

 

そういえば子供の頃、窓ガラスを外し、張り板を横にして食卓代わりにし、周りに空き箱を並べて、

近所の友達とカレーライスを食べたことなど、懐かしく楽しく思い出すことができる。

概して日本人は職を楽しむとき、ただ口にするばかりでなく、器つまり食器にも心を配る。

美しい焼き物、漆器、目にも食感にも微妙な気配りを施している。その象徴が会席料理で、鮮やか

な包丁捌きは正に芸術品といえる。

 

日本ならではの美がかいつまんでではあるものの、よく描かれてますね。想像するだけで楽しく

なってきます。

 

寸評 湯浅さんは「美の巨人」に魅せられているかも、でも大事なことですよね。本物の美をしっかり見ておくこと、、、。

安息の日々

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文章教室 GM 7月の秀作

 

安息の日々

落合 トシ子

昼寝付の生活にどっぷりとつかる日々を送っている今日この頃。

こんな生活がいいかどうか分からないが、私なりに半世紀以上かけて得た、安らぎの日々です。

姑の口癖に、人間は働くために生まれてきたのだと、また姑は寝ずに働いたとよく言っていた。そんな姑に仕込まれて働き、今日があ

るのかなとも思う。

また、隣家のおばあちゃんは、人と同じことをしていてはだめ、食べたいものを食べて、行きたい所へ行っていてはお金は残らないと。

二人とも明治生まれの人でしたが、今となってはいい教訓です。私もその頃は若かったし、そんなものかなあと姑に従って生活していまし

た。

姑や隣家のおばあちゃん亡き今、夏野菜を豊富に使った、私の数少ない料理のレパートリーから?好きなメニューを作り、食べたいもの

を作って食べています。

孫たちも私の作ったゴーヤーチャンプルーやトーガン汁等、好き嫌いなく良く食べてくれます。

旅にも出かけますし、食べたいものを食べ着たいものを着て、すべてが自由になりました。

しかしこの自由気ままな生活ができる頃には、早や後期高齢者となっていて、先の見える年になっている。今度は体がいうことをきかなく

なってきている。

遠出は疲れるし、食事も考える、そんな必要に迫られることになりました。人生とはこんなもの、、、か?

自由になったらなったで、今度は体がいうことをきかない、、。でも精一杯生きることが大事ですよね。目指すは心豊かな老後?

 

寸評 お孫さんたちは、元気な祖母の手料理が毎日食べられて幸せですよね。後期高齢者?cheeky

2012/07/15

 

cheeky

妹を連れて行きたい旅

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文章教室 GM 7月の秀作

妹を連れて行きたい旅

白井 富士子

梅雨に入り、毎日うっとうしい日々が続いている。台風が直撃した九州方面はひどい被害で、九州には親戚もいることから心を痛めています。ようやく東日本大震災が少しづつ収まってきて、明るい話も話せるようになってきたというのに、早々に台風四号が発生、関東には夜中にくると天気予報で言っていたが、この辺は何とか無事に通り抜けたようだ。

台風一過の朝を迎えれば真夏の日が!真っ青な空には真っ白い雲がふわりふわり。もうすぐ夏本番だ!

去年の今頃は兄の入院、心臓だけが動く重病人を見舞った後、万座、軽井沢に旅した。そしてその兄も天国へ、、時のたつのは早いもので、一周忌の通知が届いた。

若いころはよく旅をした。女の先生十人ぐらいで行ったが、教員指定の宿でも、廊下と障子だけでドアーはなく不安な宿泊だった。

東京に来てからは、就職した幼稚園の園長が旅好きで、年に二回も園のバスで職員旅行に行ったものだ。

その他、姉と二人で、大型バスで寺の団体参拝などで、南は沖縄から北は北海道までよく旅をした。

旅の中で特に感激したのは、中央アルプス駒ヶ岳千畳敷カールの景色です。広大な高原とその上の山々、写真で見たスイスアルプスの景色の様で、こんな素晴らしいところが日本にもあるんだと感動しました。

この感動をもう一度、同行できなかった妹に是非見せてあげたい!今年の秋には実行しようと思っている。新聞の旅の写真を毎日眺めては、実行の日取りなど思案しているところだ。

 

寸評 肉親と縁薄い話の多い昨今、妹さんに自分が見た美しい景色を見せてあげたいと思う心の優しさに触れられ、こちらも温かい気持ちになりました。ご一緒できるといいですねlaugh

 

2012/07/15

桜木町NOW

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こんにちは、息子の母です!?

久しぶりに多摩川を渡って、桜木町へ行ってきました。

本牧に会社時代の友人がいまして、

彼女とはもう三十年からの付き合いなんですが、

彼女が大井町へ来たり私が横浜へ行ったり、

ここのところそんな付き合いをしています。

 

昨日は、8月に二人で秋田へ行く予定なんですが

その打ち合わせで、、

秋田にはやはり会社時代の友人がいて

友人と会った後、竿灯を楽しもうという企画なんですね。

ちょっとした東北応援ツアー、、?

 

青空煉瓦街、陽光を浴びたランドマークタワー

東京とはちょっとばかし空気感が違いますねえ~

 

それではしばしみなと横浜の景色をお楽しみください!

 

2012/07/03 記

花の季

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文章教室 グループM 4月秀作

「花の季」 湯浅美代子

厳しかった寒さもようやく終わり、陽射しに温もりを感じ、花の便りも聞かれる頃となった。

長い療養介護生活の中、夫が逝ってまもなく二年となる。夫とは桜の季節の思い出がたくさんある。それは歩行困難になり、車いすで外出することが楽しみになってからのこと。

最初は、車いすでの外出をためらっていたが、回を重ねるごとに「あっちに行ってみよう」「こっちの方はどうだ」と行動範囲を拡げていき、花の季節をそれはそれは楽しみにしていた。

二子玉川の療養施設にいたとき、病棟の患者さんが、医師、看護師、介護士の手を借り、総動員で近くの砧緑地公園へ行ったことがあった。

夫はまだ.車いすに馴染めず、ベルトを締めて体を支えた格好での移動だった。住宅街の路地を抜けて公園へ。広大な緑地に伸びやかな桜の枝ぶりは、初めて見る見事な光景だった。

その後、介護施設を何度かうつり、その都度近所のお花見をすることが楽しみの一つになっていた。それまではお花見というと乗り物を使って、伊豆、群馬、茨城、あるいは関西、九州までも行ったものだった。

都内でも上野、浅草、神宮外苑というのが決まりだったが、車いすで行ける範囲は限られてしまう。それで新橋の施設にいたときは、愛宕山の桜、増上寺の枝垂桜、芝公園、浜離宮、それ以外にも芝の東照宮と巡り歩いた。

こうして都内の見事な桜に出会うことができた。いつかまた、夫を偲び訪ねてみよう。

寸評 亡くなったご主人と共有する桜の季節の思い出、夫婦愛がにじみ出ていいですね。九州の桜は熊本城だとか。そこまで行く、、、頭が下がります。crying

 

 

 

小物コーナー&ワゴンの中

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「暖かくなりましたね」「ようやくですね」「今日は外に出してるの」「暖ったかいし沢山の人に見てもらわないと」「いろいろあるのね~」smiley陽射しが届く午後、ワゴンの中を整頓していたら、立ち寄ってくださったお客さんと、暖かさに誘われて会話が弾みました。それでは”いろいろある”ワゴンの中と、店内の小物コーナーをご覧ください。

ワゴンの中には
「キッチンマット¥1340、キッチンタオル3枚セット¥500、外履きサンダル¥1680、スリッパ¥480、アクリルミニお盆¥1260、アクリルバスケット3枚組¥3780、バスタオル¥1440etc」
この他、生活関連グッズが入ってま~す。
 

店内には何やら楽しげな小物コーナー
「タオルハンカチ¥250~¥1260、シルクソックス¥450、ボールペン¥200、流行の各種各色レザーラップ¥840~¥1260、各種各色のパワーストーンブレスレット¥630~¥1260、ブランドスカーフ(エルメス、ディオール、バーバリーetc)¥6000~、印鑑入れ、メガネサック、パスケース等小物入れ¥1010~¥3190etc」

ご近所にお出かけの際は、是非お立ち寄りください。
smiley

2月 秀作 閏年の利用法

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閏年の利用法

斎藤 勲

新旧の暦を貼り替える。近年頂きものの暦は月捲りでメモ欄が広い多い
早速特別な誕生日が何曜かと捲ってみる。

二月二十九日が有り、閏年は一日得をしたと思える。この一日の活用法を仲間で話した。
常識ある友は、この一日がなにも寒い二月に有る必要は無いと主張した。

確定申告間近だから二月が好いと小売商店主は言う。寒い二月ではなく四月にしたら、
繋がり具合によっては超大型連休になる。九月は何をやっても結構な季節ですなあ!
それぞれ勝手なことを言う。

十一月に一日増えたことが有ったと言う。黄と黒の縦縞球団ファン御仁
毎年スター選手のカレンダーを楽しみにしていたら、
二〇一一年の十一月に三十一日が有ったと言う。
回収訂正されたものの真に惜しいことをした。こんな珍品を逸してと、今でも悔しがってい

私は私で、閏年の活用を思い付くままに話した。曰く、一日儲けた。
この一日を欲しい人に譲ろうという発想だ。1%の人間に世界の富が集中していると聴く。
こういう人の中には、一日どころか一時でも生に執着する者が大勢いるはずだと踏んだ。

二〇一〇年、二五分の宇宙旅行が二〇万米ドルで、予約が殺到していると聴く。
寿命が一日買えるとしたらどんな高値がつくだろうか。
「どうやって売り捌くのだ!」と、一人だけ話しに喰いついてきた。咄嗟に答えに窮した。
アイデアを考えたんだ手段は君が考えて、と言って顰蹙を買ってしまった。

年金生活者が超高額納税者になれる。
愚にも点かないことを頭に残し、寒風に襟元立て、転ばぬ程度の並足で冷え冷えの家に帰り着く。
ガスストーブを点火すれば温風が纏わりつく。コーヒーで一息入れて落着く。
「ああ、それにつけても金の欲しさよ!」

寸評 二月はフリーに書いてもらいましたが、閏年に目を付けた着眼点がいいですね。
顰蹙を買った意見もありそうなアイデアですよ?

『添削は下記のとおりです。

近年→近頃

頂き物→戴き物

暦は→暦は、

も→物

多い→多く重宝している。

日→日や、

誕生日が→誕生日等が

何曜日→何曜日か

二月二十九日が有り→今年はオリンピック年ということで閏年のため、二月が一日多く、

十一月、、ファンの御仁。→そういえば、、黄と黒の、、御仁が、そういえば十一月に、、と言う。

悔しがっていた。→悔しがっている。

一時→いっ時

二〇一〇→削除

付くだろうか→点くのだろうか

売り捌くのだ→売り捌くんだ