粒ぞろいだった6月の秀作、残り一遍は湯浅美代子さんの「時は流れて」。同窓会に参加されて、しみじみ時の流れを感じられた様子が、温かい筆致で書かれています。少し硬い調子の時もある湯浅さんの作品ですが、同窓会などを書くときには、いい方向にその筆致が活かされています。
東日本大震災で地震、津波、さらに原発事故で甚大な被害を被った福島県沿岸地域、震災から三年余、いまだ自宅に帰れず避難生活を送る方々、また仮設住宅で不自由な生活を送られている方々が多数にのぼります。
厳しい状況下、それでも前を向いて立ち上がる人々にエールを込めて、福島県いわき市在住の美術家山本伸樹氏が、福島県の復興のシンボルとして「福興だるま」を制作しました。私もいわき市で生まれた者として、微力ながら「福興だるま」の販売をお手伝いしようと、当店店頭に展示しました。
緑の縁はエコロジーを、全体に魚影の模様をあしらい、お腹には金色で稲穂と笹の葉が描かれ、福興の文字を配しています。目の周りは希望を込めて紅色です。
「復興」にかけて「福興」としているところなど気配り十分です。
皆さん、どうかこの趣旨をご理解いただき、「福興だるま」へのご支援をよろしくお願いいたします。
なお、売上金はすべて山本氏を通して福島県の復興資金として寄付されます。
平成26年4月24日
一年の計
石井 誠子
正月も過ぎ、冷蔵庫にお節もなくなった頃、私の誕生日十一日が来る。
子供の頃は特別祝ってもらうこともなく、気が付いたように母が「そうそうあんたは今時分に生まれたんだよ」などと他人事のように言っていた。
その頃は私もそんな誕生日の迎え方が当たり前と思っていたのか、寂しいとも感じなかったが、親になってこの方、娘たちには大げさなほど祝ってやっていることを思うと、本当は寂しかったのかもしれない。
さて今年七十五歳になる私は、孫や娘たち夫婦から「おめでとう」と祝われ、嬉しくも面映ゆい時を過ごすのが習わしとなった。そして来し方行く末を思い、いくつかのことを自分に約束するのだ。
良い俳句を創りたい。卓球もうまくなりたい。気ままな旅にも出たい。夫に優しい妻でありたい。そう、十二月の作文で書いた老支度もやらねばと、数え上げたらきりがない。
しかし一番の課題は、大人になりきれぬ自分であることだ。詩人の谷川俊太郎は「自分に潜んでいる子どもを怖れず、そこからエネルギーを汲み取れるようになれば大人になれる」と言っている。
自分の中の受容できない沢山のものを、自己否定や傍観で終わらせてしまうのではなく、ありのままの自分を深く見つめていくことで少しは大人になれるのかもしれない。
七十五歳にしてこんな青臭いことを言うのも恥ずかしいが、これもエネルギーを思えば希望が持てる。遅きに失した感があるが、自分に納得できる年の取り方をしたいものだ。
七十五歳の大人の文章ですね。著名人の言葉の引用は難しいんですが、いいタイミングで引用していますね。力みのない味わい深い文章です。
夏の一日、八ヶ岳山麓に広がる野辺山高原を訪れました。信州方面が好きで、年に一度は足を運びます。車が清里道路に入ると、周辺は高原のたたずまいに変わり、こじゃれたペンションや牧場などが点在するようになります。何とコスモスも咲き出していて、立ち寄ったお寿司屋さんで聞くと、日中は暑いけれど、朝夕は涼しいくらいだとか。暦の上では立秋も過ぎましたし、コスモスが咲きだすのも不思議じゃあないですよね。
今回野辺山を訪ねた一番の目的は、「野辺山宇宙電波天文台」へ行き、最大45メートルのパラボナアンテナ群を見学することでした。なんで今急にパラボナ?いや急にではないんです。もう二十年前くらいに『山へ帰った猫』という物語を読んだんですが、それ以来この天文台を訪ねたいと思っていたんです。そう、パラボナ群の絵と、茶トラ猫ルーの絵に、すっかり心惹かれちゃったんですね。
今回パラボナアンテナの実物を見て、その大きさにただただびっくり!見上げていると頸が痛くなってきます。しかもしばらくして、ちょっとした高台からパラボナアンテナ群を眺めたら、何と角度を変えて動いているじゃあないです。あんなに大きなものがちょっとの間に動いちゃうなんてびっくりです。
パラボナに似せた広場に寝そべり、高原の風に吹かれ、宇宙と繋がるパラボナ群を眺めていると、日常のこまごましたことなど本当に小さなことのように見えてきて、、。