街道歩き14回(最終回)

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第十四回(最終回) 石那田~日光駅

 

いよいよ日光街道てくてく歩きも最終回、というか今回で終われるか、何せ石那田から日光駅まで20キロ近くあるんで、、。

いつものように6時に家を出ます。そしていつものように上野6時49分発宇都宮線快速ラビットに。汽車タイプ座席に座りたいので一号車に乗り込みます。ただし、今日はサラリーマン氏が残り二つの座席に座ります。ま、仕方ないですね、平日の通勤時間帯ですから。

宇都宮には8時15分着、曇天の宇都宮駅前から石那田に向けてバスに。9時15分石那田バス停から歩き始めです。ここから終着日光駅までは、大きな広い通りはあまりないようで、杉並木で土手状の道をひたすら歩いていきます。

いやあそれにしても紅葉の見事なこと、息を呑むような真紅のモミジに目を奪われ、何度か立ち止まってはデジカメのシャッターを押します。

刈取りの終わった田は土色を見せ、冬への準備に入っています。リンゴ畑には通行する人が手の届く位置にかなりの数のリンゴが残っていて、これはリンゴジュース用なのか、、、と勝手な想像をめぐらせて通っていきます。

道幅が狭くなりその割には車の通行量はけっこうあり、江戸から数えて19番目の宿場という大沢宿付近も通過、二、三十分気の抜けない歩行が続きます。とりあえず大沢並木まではこの調子で行くようですね。

連れの夫とは、昨日町会で行った防災訓練の話題が取り上げられ、喧々諤々?議論を続けます。私たちは自営業ですから、通常はほぼ二十四時間一緒の生活、まあよくもそんなに一緒にいて話すことがあるわねえ、と友人たちに揶揄されますが、同い年ですから、似たような視点で物事を見るので、つきない議論ができるのかも、、。

12時になろうかというところで下水無地点に到着、お腹もすきましたし、三時間歩き通し、休みたいですしお昼を食べたいです。見つけましたよ、お蕎麦屋の登り旗。ただしそのお蕎麦屋さん、行けども行けども、、まさか狐に騙されたか?と思い始めたころ、灯りの灯った山鹿風の建物が。ありました、ホっ!

知る人ぞ知るという店なんでしょうか、それなりにお客さんが入ってますよ。ちょっと精をつけたいので、気張って鴨南蛮なんか頼んじゃいました。女性ばかりで切り盛りしているお店で、明るい雰囲気が良かったですね。

さあ後半戦、気合を入れて何とか今日中に日光駅に、、。

この辺からはひたすら杉並木のほの暗い道を歩いていきます。それでなくてもこの日は曇天で陽射しはなく、ほの暗さはなお一層というところです。

並行して走っている関東バスの停留所ごとに、あと何個あと何個と自分を励ましながら歩きます。森友地区を抜けると、その大きさで人が四・五人中に入れるとして名づけられた通称“七本.桜”の巨杉が。

四、五人中に入れるということでしたが、それはそれはすごい太さと高さで“七本桜”に納得です。そしてついに見えてきました東武線の線路、フー!高架になった東武線を潜りしばらくで下今市です。

ようやく町の賑わいが、、、コーヒーブレークと期待しましたが、商店街?にはそれらしきお店はありません。人がいないんですからコーヒーどころではないですね。仕方ない日光まで我慢しましょう。

「ここから十分ぐらい」という亭主殿の言葉を信じて歩きましたが、日光のにの字も現れる様子はありませんねえ。「何か間違ってるんじゃないの」と疲労困憊の私は夫を責め立てます。なんのことはない十分と一時間を間違えたとか、え?え?そんな、、。

この期に及んでの勘違いは応えましたねえ~。でも杉並木公園に一歩足を踏み入れ、素晴らしい紅葉に息を呑み、そしてしばし安らぎました。日本の秋は素晴らしい!

遂に到着しました!午後三時過ぎ夕暮れ迫るJR日光駅前に着きましたよ!

よく頑張りました、あの女子マラソンの銅メダリストさんではないけれど“自分で自分を褒めてあげたい”です。あの気持ちわかりますねえ。

東武日光駅前のKホテルのカフェへ、二階に上がるのがしんどいで~す。コーヒーブレーク中いろんな場面が蘇ってきます。

都心では行き交う車の多さに、まるで排気ガスの中を歩いているみたいでしたし、草加松原と太鼓橋も印象深かったです。粕壁宿から杉戸宿へはひたすら古利根川沿いを行き、東武動物公園に寄り道。梅雨の蒸し暑さにへばった体に英気をと称して川畔の鰻屋さんで鰻を頬張りましたっけ。

古河宿では遠回りして下野のレンガ工場を見に行き、見学不可の上、降り出した雨の中をトボトボトボトボ、着ているものも靴下もびしょ濡れになっちゃって、、。幸手宿では幸手在住で街道歩きを応援してくれた会社の後輩Tちゃんお薦めの、権現堂の桜を堪能しながらゆっくり栗橋まで、、。

その後輩のTちゃん、53歳という若さで突然の病で帰らぬ人に、、。街道歩き終了を知らせてあげられず残念無念!

また、暑さの中を歩いていた宇都宮近くでは、郷里に戻っていた友人が応援の車を出してくれました。農家のおばあちゃんがくれたキュウリや茄子を背負って歩いたことも、、。

どのシーンも私たち夫婦の財産です。日光街道てくてく旅、これにて終了です!

この回の記事を亡き友Tちゃんに捧げます。

 

2012/11/24 記

 

 

 

 

街道てくてく旅 ⑫

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てくてく⑫ 宇都宮~石那田

 

猛暑で中断していました日光街道てくてく旅三か月ぶりに再開しました。今回は宇都宮から石那田までのおよそ14キロを歩く予定ですが、、。

宇都宮へはいつものように上野からJR快速ラビットで1時間20分、街道歩きの起点となる東武宇都宮駅まで、県庁、東武ホテルや裁判所の前を通り30分かけて到達。9時のスタートになりました。

 

宇都宮は栃木県の県庁所在地だけあって、交通量はかなりありますね。そうそう宇都宮の地名の由来には諸説あるようですが、私的には「一ノ宮二荒山神社」の一ノ宮が転訛したとされる説を採用したいと思います!ハイ!

昨夜来の雨が上がって今日は快晴で暑いくらい、ここからは途中電車で引き返すことはできなくなりバスで戻ることになります。バスは一時間に数本という運行状況ですから、ひとバス逃がすと後の手当てがうまくいかなくなります。ピッチを上げて歩かないと!

朝食はコーヒーとロールパン一個でしたから、そろそろお腹に何か蓄えないと歩くのに支障をきたします。何せ今日は長丁場ですからね。折よくコーヒー屋さん発見、入ります入ります、食べます食べます、飲みます飲みます!

ミックスサンド、goo!ブレンドコーヒー、goo!さあ歩きましょう。ススキが土手を覆うカマ川を渡り、POST OFFISと書かれた可愛らしい郵便局発見!そうだ栃木県ならではの限定版切手があるかも、、、。

ありましたよ栃木ならではの切手をゲット!そうです皆さんにも想像がつくあれです、そう餃子といちごと日光東照宮、中禅寺湖、戦場ヶ原、、、!こういう特産品や名所があるのは強みですね~。

下戸祭~中戸祭~上戸祭と日光道は戸祭地区を通過していきます。その間.県立体育館、国立栃木病院、養護学校などが次々に登場します。将軍の日光社参の休息所となっていた真言宗光明時が道路沿いにあり、お参りしていくことに。

光明寺を過ぎると、日光街道旧道と新道が交差する地点に。ここからは桜並木が続き、日光連山も遠望されナイスな景観の道を歩くことに。といい気分で歩いていたところ、ぬぬ、、、あれは??スーパーマリオの城と見まがう可愛い建物出現!勿論、マリオの城な訳ないですけどね、、、。

続いて民家の庭先に登場したのはハロゥインのかぼちゃ??ぬぬ、これも違いますよね~!あ~でも単調な街道歩きに一興でしたね!

間もなく見えてきたのは智賀都神社の対の大ケヤキ。これはパワーをもらえそうですね~。苔むした幹回りに触れると、ひんやりとして気持ちよかったですね~。

さてそろそろ腹時計はランチを要求してま~す。お蕎麦屋さんを探せ!百メートルぐらい先にお蕎麦屋さんの看板が、、おっとこちらには中華チェーン店の看板が、、、

おっとその前に、「徳次郎城址」とかって、、、。せっかくだから寄って行こうかとは思いますが、入口はほの暗い森状態ですが、、大丈夫でしょうか??

真昼の明るい状況なんですが、入口真っ暗ですよ~、こわごわこわごわそろりそろり、下草は湿っぽいですし、陽射しがあまり入ってこないし、、。「本丸跡」ってこの辺にあったんだねとの3連れの言葉に、もう撤退姿勢でへっぴり腰の私は回れ右してもう戻る気十分

その瞬間「ギャ~」蛇です、蛇が動きました。もう私はすっ飛びで来た道を戻ります。「フー!」でも落ち着いて考えたら、来年は巳年、何か縁起がいいことが有るかも、、。って思うことにしましょう。さあお昼にしましょう!

手打ちやや硬めのお蕎麦はなかなかいける味ですよ、それにしても天ぷらも頼んだんですが、どこのお店もすごい量です、もうお腹いっぱ~い!

さあ杉並木にさしかかりましたよ、日光って感じがしてきましたね。時間は2時半ちかくになっていて、目指す石那田までバス時間には間に合いそうにありません。無理しないで見えてきたバス停でバスに乗るとしましょう。

 

 

 

2012/11/02 記

 

 

 

街道てくてく ⑪ 石橋~宇都宮

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てくてく旅 ⑪

石橋~宇都宮

 

7月16日、梅雨明け前の関東地方はすごい暑さ。この暑さの中、日光まで残

り半分の宇都宮までできれば到達しておきたくて、Go~サインです。

 

当日の宇都宮の気温予想は35℃熱中症という言葉が頭を過ぎり、六時に家を出ま

す。早めの行動、目標は12時宇都宮着!本場宇都宮餃子を戴いて帰京、、のはずでしたが、

予定は未定とはよく言ったもので、宇都宮の一つ手前の雀宮宿までは、暑くはあったものの予

定の行程はこなしていたんです。雀宮を過ぎたところで思いがけぬ展開が待っていました。

とにかく当日のスタート地点、石橋から雀宮までをお伝えしましょうね。

 

 

 

石橋駅に降り立つと、「女子やり投げ ロンドンオリンピック出場 上三之川出身 海老原

有希選手」の垂れ幕が。オリンピックまで2週間を切り、出場選手のいる地域では、こうした垂

れ幕などが駅や町の主要な場所などに掲げられ、地元の熱い声援が送られるのでしょうね。

残念ながら私の居住区域の大井町からは、出場選手はいないようです。これも縁で、こうなったら海老原選手応援しようじゃあないですかsmiley

 

まずは予定に沿って、児山城跡を見てくることに。街道からはかなり外れてしまうんですが、犬

仲間の方の実家が児山氏と縁戚関係にあるとかで、ここは一つ見学してご報告をせねば!

 

暑い、遠い、、と文句を言いながらたどり着いた児山城址は、夏草に覆われ往時の縁を知る由

もない状態でしたが、かろうじて教育委員会の立札や石碑があることで認識できました。

 

 

これで報告ができると来た道に戻ると、畑で野菜の収穫作業をしていた初老のおばあさんが

「キュウリ持ってかねえかい}と声をかけてくれます。見るからに新鮮そうなキュウリや茄子

ピーマンなど、戴きたいのはやまやまですが、正直この先の行程と、東京までこの荷物を持ち

帰ることに躊躇を覚えて、理由を話しお断りしましたが、誰も食べなくてもったいねえからと言う

おばあさんの熱意にほだされ、持ち合わせていたポリ袋に詰めさせてもらいました。お金をとっ

てくださいと言うと、金は腐るほどあっからいいんだ!

 

 

暑い体に温か~い思いもいっぱいに、グリム童話館前を通過。石橋とグリム童話との縁は謎、、?ま、深くは探らなくても、ねcheeky

 

街道に戻るのにかなりの時間を要し、どうも今日は一筋縄ではいかない予感が、、。コンビニで

水を買い水分補給、このままいくと熱中症患者の一人になってしまいそうで、水分補給と適度

な休憩を強引に設けないと。ということで、ちょうど休憩に適した星宮神社の森がみえたところ

で一休みです。

休憩中、ちょっとした用件で姉から連絡が入り、現状を報告すると、当然のように「水分とって

ほどほどで切り上げなよ」の一言!

この先目指すは自衛隊宇都宮駐屯地で、ここにたどり着けば今日の行程で寄るところはな

く、あとは宇都宮目指して進むのみ!

 

間もなく雀宮という地点で、本日の目標地、自衛隊宇都宮駐屯地の広大な敷地が見えてきま

した。中には入れるのかしらとゲートのあたりで看板を見ていましたら、「資料館見学できます」

の文字が!せっかくの機会なので見学させてもらおうと、ゲートにいた若い隊員さんに見学の

件を確認します。

入口で氏名住所を書き込んでいると、資料館案内の隊員さんがやってきます。資料館は駐屯

地を入ってすぐのところにあり、私たち二人のために資料館を開けていただくことに恐縮する

と、ゆっくり見ていってください、この暑さですから休んで、トイレも使っていいですからと親切な

言葉をかけてくれます。

 

お言葉に甘えて腰掛で汗をぬぐっていると携帯が鳴ります。親しくしているTさんの声が飛び込

んできて、私たちの現在地を尋ねてきます。小山に実家があるTさんご夫妻なんですが、今小

山にいて、私たちが宇都宮に向かうことを知っていて、この暑さは危険だから車で宇都宮ま

行ってくれるとの申し出!ウレピー!

 

「てくてく」の意義に少しばかり外れてしまいますが、まあこんな番外もたまにはお許しください。

それに宇都宮まで駐屯地の先から車で15分以上はかかったでしょうか、歩けば一時間半は

優にかかったでしょう。あの暑さを思えば、今回ばかりは致し方なし、、。

余談になりますが、私は日本橋にある商品取引のY商事という会社に13年ほど勤めてたんで

すが、宇都宮には営業所があり、いつも電話でやりとりしていた事務員のUさんと意気投合し

ていて、何度か宇都宮近辺を案内してもらっていました。

もう三十年以上前の話ですから、宇都宮の記憶は全くなし。二荒山神社が町の中心にあった

ことなども、記憶から消えていました。改めてのお参りの後、昼時にもなってましたから、全国

的に名高くなった宇都宮餃子の人気店本店に並んで餃子を戴くことに。揚げ焼き水餃子

全種類を戴きましたが、私的には羽根つきの焼き餃子でしょうか。

 

小山へ戻るというT夫妻と共に私たちも小山からの帰途となりました。前回見逃した「思川」か

ら「天平の丘」に出て、「紫式部」の墓陵に立ち寄りましたが、グリム童話館同様、ここでもな

ぜここに紫式部の墓陵が?暑いので考えるのやめました?!

ご参考までに、百人一首の紫式部の詠をどうぞ。

「めぐり逢いて見しや それとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影」

 

2012/07/21 記

日光街道てくてく旅 ⑨ 小山~石橋 13㌔ 

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    小山~石橋 13㌔ 歩行時間4時間

てくてく旅⑨回目は栃木県小山市から石橋までの、およそ13㌔を歩く予定で、いつも通

り7時過ぎに品川区の自宅を出発。上野7:48分発の宇都宮線に乗り込みます。汽車型の向かい合わ

せの座席があり、車内も下り電車で空席状況は問題なし。小山まで1時間弱、ゆっくり朝刊に目を通せ

そうです。

 

 

小山の情報は、つい最近も法事で小山へ帰省したという友人から聞いていましたし、パ

ンフレットなども持ってきてくれてましたので、それらを参考に、、、と思っていましたが、実際にその場

に立つと、ここはいいかとか、こっちに先に行ってとか、思い描いていたようにはいかなくて、、、

 

ところで小山市の起こりは平将門の乱まで遡り、この乱を鎮めたといわれる下野守藤原秀郷の子孫の

四郎政光が、居城を構えたことが起源とされています。政光の妻は源頼朝の乳母で、結果、小山氏一

族は源氏に従うことになり、種々の武功で頼朝の信頼を得た小山氏は隆盛を極めたとか。

 

その小山氏の菩提寺とされる天翁院は、小山駅から「小麦の里 小山」の看板があちこちに立ってい

る街道を歩きだして間なしに見えてきました。境内入口にはおびんずる様風の像が。広々とした境内

奥には白木のご本堂。年代を感じさせる鐘楼も見え、小山氏廟所を象徴するように五輪塔も境内数か

所に建てられていました。

   

 

東京から80キロの道標を越えると、両毛線の単線の線路が眼下に。そういえば”小山遊園地”とCMな

どで聞いていたあのフレーズ、最近とんと耳にしないと思っていましたら、小山遊園地はもうなくなった

と例の友人から情報が入り、あとにはアウトレット風に、郊外型の大手のスーパーなどがはいっている

そうで、それらしい看板が陸橋から見渡せます。

そういえば遊園地そばに温泉ができたと聞いていましたが、「湯」の看板が見えてきました。温泉の鉄

塔は黄色に塗られて、温泉を象徴するようでした。

 

ここからは喜沢の一里塚まで淡々とした道程をこつこつこつこつ歩を進めていきます。この単調さに飽

きてはだめなんですね~。さあ一里塚です。馬頭観音が置かれ、三叉路になった街道はいかにも追分

という風情です。

85キロ地点を過ぎ、11時半を回りました。歩き出して約2時間、お腹もすいてきましたし、第一目的地

の小金井宿も間もなくです。お昼をいただきながら少し休むことにします。

 

小金井の一理塚の榎の大木を過ぎたあたりからしばらくの間、やけに空がすっきりしてて?、何のこと

はないこの区間電線がなかったんです。上ばかり見て歩いてましたら慈眼寺というお寺が。秩父札所

参りでお参りした第十三番札所慈眼寺と同じ名前のお寺さんだったので、何だか懐かしく立ち寄りまし

た。高い高い鐘楼脇には四国八十八か所参り結願の石碑と、弘法大師像が。すっきりしたたたずまい

のご本堂の前に立ち手を合わせます。

 

 

慈眼寺を出てしばらくしたところから、交通量の多い街道をしばし離れて、大麦畑が広がる田の道を行

くことに。どこまでもどこまでも大麦畑で、そしていくつものハウスが表れます。このハウスではイチゴ

が栽培されるそうで、そういえば栃木県は、「栃乙女」とか「女峰」とか、全国有数のイチゴの産地でし

たっけ。大麦はこのあたりではビール麦というのも、例の友人から聞きました。

なんでこんなに大麦を植えるのか、しかも焼け畑にして麦を敷き詰めていましたし、、。通りがかったヤ

クルト配達のお姉さんからヤクルトを買い求めながら伺ったところ、土のままにしておくと雑草におおわ

れてあとの始末が大変になること、そして土のままだと埃で大変なことなど、なるほどとうなずかされま

した。

 

出だしは曇りだったのが、このあたりで日がさしてきて暑さも増してきました。かなり疲れてきました

し、、。自治医科大の看板が見えたきたところで、そろそろ街道に戻りましょうか。しばらく行くと丸大ハ

ムの工場が見え、93キロ地点通過。間もなく今日の最終目的地石橋宿です。

 

2012/06/13 記

 

 

 

 

 

日光街道てくてく旅 ⑧ 野木~小山

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          野木~小山

 

前回は約9キロの雨のてくてく旅でした。実は前回行きそびれた、というか月曜日休館で中に入れなか

った古河歴史館などをみたくて、今回は火曜日を予定していたんですが、火曜日が雨予報、雨中傘を

さしての徒歩は意外ときつく、雨と分かっていて行くこともないと月曜日出発に変更しました。

今回は上野発7:58分宇都宮線快速ラビットを利用、たった一時間で野木に到着です。午後の気温は

28度くらいになると予想されていて、午前中が稼ぎ時、”早起きは三文の徳”って言いますからね。

野木駅前は実にローカルで、十分も歩くともう田畑が広がる田園地帯です。間もなく日光街道、ここか

らはひたすら街道をてくてく歩きます。

まず目指すのは大日如来坐像。歴代将軍が日光参詣のおり、古河城を出て最初の休憩所が友沼八

幡神社、赤い弁柄格子の塀に囲まれたその友沼神社の前を、さらに進み光南病院が見えてくると、大

日如来座像が祀られた若宮神社入り口です。

神社の奥へ歩を進めると、柔和な微笑みをたたえた大日如来様が、神社の森に守られて鎮座されて

いらっしゃいました。それもそのはず、この如来様は、父母の供養にと江戸の商人が故郷下野の若宮

神社に寄進したと、建立記念碑に刻まれていました。

拝殿を済ませ街道に戻ると、自転車に乗った中年男性が森の奥へと向かっていきます。この男性その

後間々田近くでも見かけましたし、小山近辺でも、、。この方も自転車での街道歩き?

 

東京から70キロ地点を通過し、間もなく間々田宿。駅への道を進んでいくとバス停出現!え?バス走

ってるの?その名も「お~バス」ですって。中田宿で見かけた「ぐるりん号」よりは本数が増えていまし

た。

駅前に喫茶店発見!時間的にもコーヒーブレークしないと。私は久しぶりにクリームソーダをいただき

ました。甘くて美味しかった!旦那は?はてアイスコーヒーだったかな?そうそう小腹もすいていたの

でミックスサンドを注文したところ、店の女性オーナー、小走りに店を出ていってしまいました。どうやら

パンを買いに行ったようでした。ふふふ、、。ま、これもありで、急ぐ旅でもないですし、いいじゃないで

すか。

 

間々田11:00出発、駅前には間々田の民俗芸能蛇舞にちなんだ蛇の像が飾られていて、毎年5月5

日に勇壮な蛇踊りが繰り広げられるそうです。ちょっと興味が湧きました。

街道をしばらく行ったところで、思川に向きを変え、小山市立博物館前からは、「とちぎふれあい自然

歩道・歴史の道」を辿ることに。

博物館脇には「乙女不動原瓦窯跡」があり、原始時代を思わせる窯跡などを見て「山下通り」と名付け

られた緑道を行きます。

広がる田畑をみて思いきり深呼吸、11:45分乙女中学校から3時間目あたりの授業が終わったのでし

ょうか?、キンコンカーンという懐かしいチャイムの音が。

これから給食かしら?」「いやいや昼までにはまだ時間があるし、今は45分授業だから、これからもう

一限あるんじゃないの」と授業時間を巡って旦那とディスカッション、、、。

そうこうするうちに、紫や黄の菖蒲の群落が目に飛び込んできて、思わず嘆声を上げます。動物や植

物は癒しをくれますね~。

   

 

4号線に戻ってしばらくてくてくと歩を進めていくと間々田八幡宮、境内にある池には何やら不思議な物

体が動いています。UFO?亀?写真を見て皆さんご想像ください。

あ、ルピナス!またまた癒し系植物ルピナスの群落登場!朱、ピンク、紫と華やか系色素の競演です。

自転車を止めて立ち話中のご婦人にその場所の住所を伺うと、間々田にはもっと広いルピナスの群

落があるよと教えてくれます。

さっき通って蛇祭りの看板見ましたよとお話すると、5月5日に終わったが、それは盛大だよとやや自慢

げ?小山まで行きますと告げるとそりゃご苦労さんだね、頑張ってとエールをいただきます。

 

さあここからはひたすら小山を目指します。暑くなってきましたし、3時間以上歩いてますからいささか

疲れてきました。12時を過ぎ、お腹も少し空いたかしら。時折新幹線の走り去る音が響き、間もなく小

山、あとひと踏ん張りと心を奮い立たせます。

小山着13:20分、歩行時間4時間弱、距離約9キロ。お疲れさん!

 

2012/05/17 記

日光街道てくてく旅 ⑤ 東武動物公園~幸手 6.5Km

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    東武動物公園~幸手 6.5Km

 

品川区大井の自宅を午前7時前に出発。今回は浅草から東武伊勢崎線で、今日のスタート

地点東武動物公園に向かいます。

 

浅草発8:10の快速は汽車タイプの座席で、行き先も日光とくれば気分はすっかり旅

日光行きだけあって、周囲には中国人らしき人や欧米人など外国の方もかなりいます。何と言っても、

日光は日本が誇る世界遺産の観光スポット!

 

さて浅草から出た東武伊勢崎線区間快速電車は、隅田川を渡りスカイツリーの工事現場のすぐ脇

通過してスピードアップ、東武動物公園には8:50前に到着。さあ幸手へ向けて、6.5キロの道程を進

めていきましょう。

 

前回歩いてきた古利根川に架かる古川橋を渡り、4号線日光街道一本手前の道に出ると、両側に軒

を連ねる民家はどちらも広々とした庭のあるお宅で、萩、コスモス、曼珠沙華、葉鶏頭等の

花々が、存分に枝を伸ばして咲いています。

 

見越しの松のお宅も散見され、どうやらこの辺りは少しばかりリッチな方たちのエリアのようです。

さらに歩を進めると左手に見えてきたのは宝性院。杉戸宿として栄えていた頃にあった寺子

だったところだとか。どうやらこのエリアは、杉戸宿の文化地域だったようです。

その中に黒塀に囲まれた旧家があり、そのお宅はご同業の小林質店さん。案内によれば

前身は脇本陣の伊勢屋さんだったとか。まさにへ~?ですね。

さてここからは4号線と合流、とたんに車の往来が激しくなり、排気ガスを吸いながら一時間ほど歩くこ

とになります。

街道の両側には、大型の回転寿司屋や焼き肉店に蕎麦うどん店などが建ち並び、昼時や夕飯時は

さぞや賑わうことだろうと想像してみます。

一方閉店に追い込まれた店舗もかなり見受けられ、街道筋の商売はなかなか大変だということが察

せられました。

 

そうそう、街道歩きのガイド本を持って歩いていたところ、食事処から出てきた車が私たちの横で停

り、中年男性が車から降りて近づいてきます

男性は「街道歩きされてるんですか?」と聞いてきます。今回は東武動物公園から幸手まで歩いてい

る旨伝えると、この方も街道歩きに挑戦しようと目下下見中なのだとか。しばし立ち話の後、それじゃ

あ何処かでと男性は言い残し、北に向かって車を走らせていきました。

間もなく杉戸高野台、この辺りからは東武伊勢崎線に沿って田の畦を歩いたり、ホンダ関連の事業所

地域を横目に見て歩くことに。

伊勢崎線の特急「スペーシア」も数本通過し、街道歩きの終点日光からの帰路は、絶対あの

スペーシアで帰ってこようと、そんなことを考えていると、頑張らなくちゃとちょっと奮起してみた

り、、。

目を転じると、田の中に突如として高速道路の橋脚が四本見えてきました。近くへ行って確認すると、

圏央道の工事現場で、平成23年1月31日完成まで工事となっていましたが、さて足だけがある状況か

ら、後3か月ほどで完成などとても考えづらい状況です。

続いて見えてきたのは可愛らしい六角形の幸手市南公民館、いよいよ幸手の町です。突き当た

れば御成道、まもなく幸手駅、今回は歩行約一時間四十分、6.5キロのてくてく旅でした。

実は出がけに友人に会い、リュック姿の私たちを見て行き先を尋ねます。日光街道歩きで今日は幸手

まで行く旨伝えると、何と彼女は幸手に住んでいたとか。「桜せんべい」という店のおせんべいが美

味しいという情報ゲット!

浅草行き快速電車まで時間があり、駅から十分ほど「幸宮神社」そばの「桜せんべい」へ行って

みました。

 

女店主さんはリュック姿の私たちを見て、権現堂へ行かれたんですか?と尋ねます。こちらへ伺った

経緯を伝え、情報をくれた友人の分も買い求めます。

実は幸手には三十年来の友人が住んでいて、可愛いワンちゃんがいることもあって先年訪ねていま

す。

 

その折、権現堂堤の桜が見事なので、是非又桜の時期に来て下さいと言われていたんですね。

幸手の自慢はやはり権現堂堤と桜だったか!道理で桜せんべいに桜通り、それに桜小

学校?あ、これ普通でした。次回は栗橋を目指します。

 

2010/10/22 記
 

 

 

日光街道歩け歩け⑦-2 茨城県古河市~野木町

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トラックの陸送便が引きも切らずに走る利根川大橋を渡りきると、茨城県古河市はずれの中田宿。

公民館らしき建物の前で初老のご婦人がバスを待つ風情でしたので、近くにあったバス停の時刻表を

見ると、2~3時間に一本の運行で、折よくあと5分ほどで「ぐるりん」というそのバスが来ます。

私たちはバスに乗るわけではないので、歩きながら振り返り振り返りバスの到着を待ちましたが、残念

ながらバスは来ないまま。私たちは道の外れまで来てしまいました。先ほどのご婦人も消えてしま

い、、、。

 

道は緩やかに左折し、ちょうど東北本線宇都宮繊のグリーンにオレンジラインの電車が通過していき

ます。

踏切を渡りそこからは田畑が広がる長い長い一本道を古河駅目指して進んでいきます。

 

広々した歩道には青色の自転車レーンも設けられ、東京ではとてもこんなゆとりのあることはできませ

ん。

雨は時折強めに降ったりして、傘が手放せません。傘をずっとさしているのってなかなか大変で、後日

談になりますが、二、三日腕が張ってしまいした。

 

「全国大会出場」の横断幕が掲げられた古河二高前を通過し、国道354号線と交差する原町交差点

にでれば間もなく古河駅です。

 

古河駅に行く前に、日本三大観音の一つと数えられる長谷観音に立ち寄りお参りします。お世話され

るご婦人がこちらからどうぞと差し招く地点から、ご本堂奥に微笑みをたたえた木造の観音様が見え、

合掌!

ご朱印をいただき黒飴を買い求め、歴史博物館にも立ち寄るべく回り道しましたが、残念!月曜日と

あって公共施設はアウト!モダンな博物館の反対側には、黒ベイを回した粋な建物の古河藩家老鷹

見泉石の屋敷が構えていましたが、こちらも月曜日でお休み、う~ん残念!仕方ない駅で昼食としま

しょう。

 

 

昼食後、雨は小やみになり、1時を過ぎたばかりで、帰路2時間かかるとしても帰宅するには少々時間

があり、次の野木まで頑張ることに。駅頭には「遭はずして 行かば惜しけん 磨くら我の 許我れ 漕

ぐ船に 肝も淡むかも」と石碑に刻まれた万葉歌碑がありました。この時点で、長い長い野木への道の

りが待っていようとは想像だにしなかった。甘かった!

 

常夜灯が配置され町はずれまで続く旧道が途切れると、いよいよどこまでもどこまでも続く栃木県野木

までの田園の道のりです。菜の花の群落、芝桜の草地、ネギ畑に人参畑などが広大に広がる野木へ

の道のりはやや単調で、ここまで7キロ近く歩いた疲れもありかなりしんどかった。

 

そんな道程の中ほどに、「旧下野煉瓦窯入口」と書かれた看板発見。高い煙突が望まれ、興味をそそ

られ歩き出してしまったからさあ大変!この道のりが往復2キロ近くあり、さらにたどり着いたはいい

が、見学できず、さらに隣接するホースクラブにも入れず、、、。そうそう乗馬訓練中の馬には遭いまし

たよ。茶系で.足長の馬のパッカパッカという足音が耳に残っています、、、。この煉瓦窯で東京駅の煉

瓦を焼いたそうで、なんとこの窯、国の重要無形文化財だそうです。

 

 

重~い足取りでようやくたどり着いた野木駅からは、湘南ライン直通電車が通っていて、雨の中傘をさ

いて歩き続けた疲れから爆睡、気が付くと見慣れた街並みが目に飛び込みホッとしました。

 

2012/04/23 実行

日光街道てくてく旅 ⑦-1  栗橋~古河

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           栗橋~古河

 

昨夜からの雨はまだ降っているようで、窓の外からは小さな雨音が聞こえてきます。

この分なら大雨にはならないかな?この時点で私は今日の街道歩きにゴーサイン!

夏場と冬場は暑い寒いで長時間の歩行は厳しく、季節のいい今が一番の稼ぎ時、ここで歩かないでい

つ歩くんだと意気込みます。

 

軽い朝食を済ませ、7時過ぎに浅草へ向けて家を出ます。伊勢崎線車中から望むスカイツリーは、曇

天で上の部分は見えず。その頃から雨つぶが車窓を濡らし始めます。

 

10時過ぎ栗橋駅着、駅前にある「静御前の墓」に寄り、なぜこの地に静御前の墓があるのか、解説板

に書かれた経緯を読んでみます。

義経を追って奥州へ向かった静御前でしたが、この地で義経の死を知り、当時ここにあった高柳寺で

義経の死を弔ったとか。

そののち静御前は、病で22歳の生涯を閉じたそうで、若かったですね~。

 

 

傘をさしての街道歩きは初めて、ここまで好天に恵まれて、、というか、天気の悪い日は行きませんで

したからね。

 

栗橋宿旧道は人気もなく静まり返っています。平日の雨の朝でちょっと寂しかったですね。

利根川土手下にこんもりとした茂みがあり、石碑には関所跡と書かれています。この関所、「入り鉄砲

に出女」に厳しい関所だったそうですよ。

 

 

 

向かいにある八坂神社にお参りし、今日の街道歩きの無事を祈願します。こちらの神社では、あ・うん

の像ならぬ、珍しい亀と鯉の像がありました。水準基準とかいう碑もあり、ちょっとユニークな神社でし

た。

 

 

さあ利根川です、ここを渡れば茨城県。いやあそれにしても、利根川って広くて長くてスケールの大き

な川ですねえ。荒れることも度々で、「坂東太郎」なあんてきかんぼうな別名もついてますよね。利根川

大肺のほぼ中央が埼玉県と茨城県の県境、おごそかに茨城県に記念の一歩を記します。

 

 

2012//04//23 実行

 

 

日光街道てくてく旅 ⑥ 幸手~栗橋

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           幸手~栗橋

 

昨年の震災で中断した日光街道てくてく旅、緊急の用件で幸手在住の友人を訪ねなけ

ればならず、一年ぶりにてくてく旅を再開することに。

緊急の用件というのは、友人が飼っているワンちゃんが余命いくばくもない状況になっ

ていて、数年前にそのワンちゃんと散歩した私としては、最後に一目会っておきたかったんです。それ

と、幸手の権現堂堤の桜と菜の花の素晴らしい競演を見ておきたかった。

 

実は友人のご主人は犬猫が苦手だそうで、十五年一緒に暮らしているワンちゃんへの愛情がほとん

どなかったとか。友人に対しワンちゃんのことで辛辣な言葉を度々かけていたそうです。辛かったでし

ょうね。今少し理解のあるご家族がいる家で暮らしていれば、ワンちゃんももう少し生きられたかもしれ

ませんねえ??

 

ワンちゃんにも対面、友人が権現堂河岸まで送ってくれてさあ出発。平日の午前というのに、堤は桜

見物の人たちで賑わいを見せています。菜の花も黄の群落をそこかしこに作り、桜との競演は噂に違

わず見ごたえありです。

 

ここからは堤に沿って流れる中川畔を北上していきます。行幸橋を渡ると、先ほどまで

の賑やかさが嘘のように、田畑が広がる地帯をしばらく進みます。間もなくすると「外国府間 右つくば

道 左日光道」と刻まれた石碑が正面に。「外国府間」と書いて「そとごうま」と呼びますが、この地域の

地名なんだそうです。

「左日光道」の指示に従い、田畑の向こうを東武鉄道が走る風景の中をしばらく行くと、

正面に「雷電神社」の石の鳥居が見えてきました。額には「雷電・湯殿権現」と刻まれ、

境内には町会の集会所が。雷電の名が示す通り、雷に打たれた樹木が横倒しになったままになって

いました。

 

4号線に戻りかけたところで「会津稲荷」の赤い鳥居が。説明書きには、会津候の使者

が江戸へ向かう途中、頼まれた文をなくすという失態をしてしまい、切腹してお詫びをと思ったところ

へ、狐様が表れ命を救ったそうです。

 

水仙の群落を写真に収め、国道から権現堂川河岸へと向かいます。この川を北上すれ

ば栗橋になります。久しぶりの長距離歩行で、いささか疲れてきましたので権現堂公園でしばし休憩と

しましょう。

 

栗橋まではあとわずか、川べりを進むことにして再び権現堂川畔へでます。対岸にはキ

ューピーマヨネーズの工場が見えてきましたがすごい化学プラントの様相に、マヨネーズ作るのにこん

なに化学製品が使われてるのかしらと、ちょっと驚きでした。

新幹線の鉄橋が見えてきて、栗橋はもうそこです。

 

2012/04/16  記

 

 

 

 

日光街道てくてく旅 ④ せんげん台~東武動物公園 8.5km

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   せんげん台~東武動物公園 8.5Km

 

今年の夏は、熱中症が多発する猛暑続きとなり、てくてく旅どころではありませんでし

た。35度からの暑さの中を歩いたら、きっと熱中症で倒れたことでしょう。最終目的の日光東照宮は地

球が消滅しない限り?なくなりはしないんですから。

 

というわけで、5月に「せんげん台」まで歩いたのを最後にしばしお休みしていたてくてく旅、さす

がに10月の声を聞き、朝夕涼しさを感じ始めるころとなったところで再開とい

きましょうか!

 

今回は東武野田線せんげん台から東武動物公園までの約8キロちょっとを歩く予定で、

午前6時前に品川区大井町の我が家を出発、前回の終点「せんげん台」には7時15分着。さ

あ歩き始めるとしましょう。

 

国道4号線日光街道は、会之堀川と平行に走っていて、その会之堀川は只今護岸工事中スス

や赤マンマといった雑草系が両岸を覆い、秋の風情たっぷり。これで工事でもしていな

ければ、芭蕉さんにあやかって一句ひねり出すところですが、、。

「武里駅」入り口標識を通り過ごすと間もなく「備後」、「備後」といえば昔でいえば広島県あたりの地

名、広島と何やら関係ありか?とそんなことを思いながら歩を進めていくと、「備後一里塚」の石碑

が。広島との関係や、由緒いわれ等の詳しい情報は、残念ながら得られませんでした。

「一ノ割駅」入口の標識が見え、さらに北上し東武野田線を潜ります。私は特に今流行りの鉄道オタ

ク、通称「鉄オク」ではありませんが、ここはやはり電車の通過を見たいと待ちましたが、、。

 

「日本橋から35キロ」の標柱が見えると、栃木県小山の名が道路標識に。この辺りから4号線と分

かれ粕壁宿へ向かいます。土蔵造りの民家なども見え宿場町の風情たっぷりの春日部

到着です。

現在は地名表示に「春日部」を用いるのがほとんどですが、古くは「粕壁」とも表示されたこの地。低地

帯で大水が出る度に、壁状の土砂の堆積があることから「粕壁」となったとする説があるようです。

また現在の「春日部」の表示のいわれとしては、「春日」と「部」に分かれるそうで、「春日」は大和時代

第二十一代雄略天皇のころの皇女「春日大娘」からきていて、さらに「部」は有力な人に仕えていた人

を指すそうです。どうやら「春日部」の地名表示は、皇室などに仕えていた人たちが沢山いたところか

ら由来しているようです。

8時15分を回ったところで朝食をと思っていたところへ、パンを焼くいい匂いが漂ってきました。サンドイ

ッチを買い求め、日差しがたっぷり差し込むそのパン屋の二階で、コーヒーを戴きながら出来立てサ

ドイッチを頬張ります

なんとはないサンドイッチでしたが、柔らかサンドパンに、ハムや野菜それにポテトサラダにゆで卵等

の具が程よくミックスしていて、美味でしたね~!こんな食感と出会えるのも旅の楽しみで、歩いてい

るからこそこうしたお店も見つけられる、だからてくてく旅はやめられません!

 

さあお腹もいっぱいになり、日本橋から数えて日光街道四番目の宿場「粕壁」に別れを告げ、ここから

古利根川沿いの道をとって今日の終着点「東武動物公園」を目指します。

雲一つない青空、両岸を埋める釣り人たち。広がる田園にコスモスや葉鶏頭が微風を

受けてひそかに揺れています。都会に暮らす私たちは、この風景に何ほどか癒されることでしょう。8

キロも歩けば相当疲れるんですが、この癒しがあるから頑張れる!

 

さて、ゆったりと流れる古利根川に釣り糸を垂れる釣り人たちのお目当ては鯉だとか。朝早くからご

苦労様です、皆さん。

終着近く、川べりにウナギのかば焼きの幟がはためき、気温28度の中、8キロ歩きとおしたご褒美

に、一丁奮発してウナギといきますか!

 

2010/10/17 記