日光街道てくてく旅 ⑨

小山~石橋 13㌔ 歩行時間4時間

てくてく旅⑨回目は栃木県小山市から石橋までの、およそ13㌔を歩く予定で、いつも通

り7時過ぎに品川区の自宅を出発。上野7:48分発の宇都宮線に乗り込みます。汽車型の向かい合わ

せの座席があり、車内も下り電車で空席状況は問題なし。小山まで1時間弱、ゆっくり朝刊に目を通せ

そうです。

小山の情報は、つい最近も法事で小山へ帰省したという友人から聞いていましたし、パ

ンフレットなども持ってきてくれてましたので、それらを参考に、、、と思っていましたが、実際にその場

に立つと、ここはいいかとか、こっちに先に行ってとか、思い描いていたようにはいかなくて、、、

ところで小山市の起こりは平将門の乱まで遡り、この乱を鎮めたといわれる下野守藤原秀郷の子孫の

四郎政光が、居城を構えたことが起源とされています。政光の妻は源頼朝の乳母で、結果、小山氏一

族は源氏に従うことになり、種々の武功で頼朝の信頼を得た小山氏は隆盛を極めたとか。

その小山氏の菩提寺とされる天翁院は、小山駅から「小麦の里 小山」の看板があちこちに立ってい

る街道を歩きだして間なしに見えてきました。境内入口にはおびんずる様風の像が。広々とした境内

奥には白木のご本堂。年代を感じさせる鐘楼も見え、小山氏廟所を象徴するように五輪塔も境内数か

所に建てられていました。

東京から80キロの道標を越えると、両毛線の単線の線路が眼下に。そういえば”小山遊園地”とCMな

どで聞いていたあのフレーズ、最近とんと耳にしないと思っていましたら、小山遊園地はもうなくなった

と例の友人から情報が入り、あとにはアウトレット風に、郊外型の大手のスーパーなどがはいっている

そうで、それらしい看板が陸橋から見渡せます。

そういえば遊園地そばに温泉ができたと聞いていましたが、「湯」の看板が見えてきました。温泉の鉄

塔は黄色に塗られて、温泉を象徴するようでした。

ここからは喜沢の一里塚まで淡々とした道程をこつこつこつこつ歩を進めていきます。この単調さに飽

きてはだめなんですね~。さあ一里塚です。馬頭観音が置かれ、三叉路になった街道はいかにも追分

という風情です。

85キロ地点を過ぎ、11時半を回りました。歩き出して約2時間、お腹もすいてきましたし、第一目的地

の小金井宿も間もなくです。お昼をいただきながら少し休むことにします。

小金井の一理塚の榎の大木を過ぎたあたりからしばらくの間、やけに空がすっきりしてて?、何のこと

はないこの区間電線がなかったんです。上ばかり見て歩いてましたら慈眼寺というお寺が。秩父札所

参りでお参りした第十三番札所慈眼寺と同じ名前のお寺さんだったので、何だか懐かしく立ち寄りまし

た。高い高い鐘楼脇には四国八十八か所参り結願の石碑と、弘法大師像が。すっきりしたたたずまい

のご本堂の前に立ち手を合わせます。

慈眼寺を出てしばらくしたところから、交通量の多い街道をしばし離れて、大麦畑が広がる田の道を行

くことに。どこまでもどこまでも大麦畑で、そしていくつものハウスが表れます。このハウスではイチゴ

が栽培されるそうで、そういえば栃木県は、「栃乙女」とか「女峰」とか、全国有数のイチゴの産地でし

たっけ。大麦はこのあたりではビール麦というのも、例の友人から聞きました。

なんでこんなに大麦を植えるのか、しかも焼け畑にして麦を敷き詰めていましたし、、。通りがかったヤ

クルト配達のお姉さんからヤクルトを買い求めながら伺ったところ、土のままにしておくと雑草におおわ

れてあとの始末が大変になること、そして土のままだと埃で大変なことなど、なるほどとうなずかされま

した。

出だしは曇りだったのが、このあたりで日がさしてきて暑さも増してきました。かなり疲れてきました

し、、。自治医科大の看板が見えたきたところで、そろそろ街道に戻りましょうか。しばらく行くと丸大ハ

ムの工場が見え、93キロ地点通過。間もなく今日の最終目的地石橋宿です。

2012/06/13 記