日光街道てくてく旅 ⑫

 石那田~日光駅(最終回)

いよいよ日光街道てくてく歩きも最終回、というか今回で終われるか、何せ石那田から日光駅まで20キロ近くあるんで、、。

いつものように6時に家を出ます。そしていつものように上野6時49分発宇都宮線快速ラビットに。汽車タイプ座席に座りたいので一号車に乗り込みます。ただし、今日はサラリーマン氏が残り二つの座席に座ります。ま、仕方ないですね、平日の通勤時間帯ですから。

宇都宮には8時15分着、曇天の宇都宮駅前から石那田に向けてバスに。9時15分石那田バス停から歩き始めです。ここから終着日光駅までは、大きな広い通りはあまりないようで、杉並木で土手状の道をひたすら歩いていきます。

いやあそれにしても紅葉の見事なこと、息を呑むような真紅のモミジに目を奪われ、何度か立ち止まってはデジカメのシャッターを押します。

刈取りの終わった田は土色を見せ、冬への準備に入っています。リンゴ畑には通行する人が手の届く位置にかなりの数のリンゴが残っていて、これはリンゴジュース用なのか、、、と勝手な想像をめぐらせて通っていきます。

道幅が狭くなりその割には車の通行量はけっこうあり、江戸から数えて19番目の宿場という大沢宿付近も通過、二、三十分気の抜けない歩行が続きます。とりあえず大沢並木まではこの調子で行くようですね。

連れの夫とは、昨日町会で行った防災訓練の話題が取り上げられ、喧々諤々?議論を続けます。私たちは自営業ですから、通常はほぼ二十四時間一緒の生活、まあよくもそんなに一緒にいて話すことがあるわねえ、と友人たちに揶揄されますが、同い年ですから、似たような視点で物事を見るので、つきない議論ができるのかも、、。

12時になろうかというところで下水無地点に到着、お腹もすきましたし、三時間歩き通し、休みたいですしお昼を食べたいです。見つけましたよ、お蕎麦屋の登り旗。ただしそのお蕎麦屋さん、行けども行けども、、まさか狐に騙されたか?と思い始めたころ、灯りの灯った山鹿風の建物が。ありました、ホっ!

知る人ぞ知るという店なんでしょうか、それなりにお客さんが入ってますよ。ちょっと精をつけたいので、気張って鴨南蛮なんか頼んじゃいました。女性ばかりで切り盛りしているお店で、明るい雰囲気が良かったですね。

さあ後半戦、気合を入れて何とか今日中に日光駅に、、。

この辺からはひたすら杉並木のほの暗い道を歩いていきます。それでなくてもこの日は曇天で陽射しはなく、ほの暗さはなお一層というところです。

並行して走っている関東バスの停留所ごとに、あと何個あと何個と自分を励ましながら歩きます。森友地区を抜けると、その大きさで人が四・五人中に入れるとして名づけられた通称“七本.桜”の巨杉が。

四、五人中に入れるということでしたが、それはそれはすごい太さと高さで“七本桜”に納得です。そしてついに見えてきました東武線の線路、フー!高架になった東武線を潜りしばらくで下今市です。

ようやく町の賑わいが、、、コーヒーブレークと期待しましたが、商店街?にはそれらしきお店はありません。人がいないんですからコーヒーどころではないですね。仕方ない日光まで我慢しましょう。

「ここから十分ぐらい」という亭主殿の言葉を信じて歩きましたが、日光のにの字も現れる様子はありませんねえ。「何か間違ってるんじゃないの」と疲労困憊の私は夫を責め立てます。なんのことはない十分と一時間を間違えたとか、え?え?そんな、、。

この期に及んでの勘違いは応えましたねえ~。でも杉並木公園に一歩足を踏み入れ、素晴らしい紅葉に息を呑み、そしてしばし安らぎました。日本の秋は素晴らしい!

遂に到着しました!午後三時過ぎ夕暮れ迫るJR日光駅前に着きましたよ!

よく頑張りました、あの女子マラソンの銅メダリストさんではないけれど“自分で自分を褒めてあげたい”です。あの気持ちわかりますねえ。

東武日光駅前のKホテルのカフェへ、二階に上がるのがしんどいで~す。コーヒーブレーク中いろんな場面が蘇ってきます。

都心では行き交う車の多さに、まるで排気ガスの中を歩いているみたいでしたし、草加松原と太鼓橋も印象深かったです。粕壁宿から杉戸宿へはひたすら古利根川沿いを行き、東武動物公園に寄り道。梅雨の蒸し暑さにへばった体に英気をと称して川畔の鰻屋さんで鰻を頬張りましたっけ。

古河宿では遠回りして下野のレンガ工場を見に行き、見学不可の上、降り出した雨の中をトボトボトボトボ、着ているものも靴下もびしょ濡れになっちゃって、、。幸手宿では幸手在住で街道歩きを応援してくれた会社の後輩Tちゃんお薦めの、権現堂の桜を堪能しながらゆっくり栗橋まで、、。

その後輩のTちゃん、53歳という若さで突然の病で帰らぬ人に、、。街道歩き終了を知らせてあげられず残念無念!

また、暑さの中を歩いていた宇都宮近くでは、郷里に戻っていた友人が応援の車を出してくれました。農家のおばあちゃんがくれたキュウリや茄子を背負って歩いたことも、、。

どのシーンも私たち夫婦の財産です。日光街道てくてく旅、これにて終了です!

この回の記事を亡き友Tちゃんに捧げます。

2012/11/24 記