九十九歳母逝く

mitake Posted in 文章教室
コメントは受け付けていません。

 

3月の文章教室グループMの優秀作

「九十九歳母逝く」 服部佳子

二月六日は明治四十五年生まれの母の百歳の誕生日で、「家には百歳まで長生きした人はいないから、お祝いを何か考えておいて」と言う弟の意向を汲んで、母が喜びそうなことをあれこれと思いを巡らしその日を待った。

しかし残念ながら昨年十一月末、百歳にあと一息というところで母は力尽きてしまった。亡くなる寸前まで、日常のささやかな出来事や身の回りの様子など、短い日記を毎日書いていたとか。

「今日は遠方よりK子夫婦が訪ねてくれて嬉しかった。
「息子が来たけど、大阪まで無事に帰っただろうか」
折々の季節の移ろい、先々の心配事等、書くことで心を満たし、生きる力となっていたようだ。

また、弟が持たせた携帯電話を「声が聞ける」と大変喜んでいたようだ。また私の顔を見ると、いつも決まって「具合はどうか」と病みがちな私の体を案ずる言葉をかけてくれた。

母は当時としては稀な女学校を卒業していて、その上の研究科をも終了している。その誇りを胸に、終生「心清く」の精神を崩さず、明治生まれに拘る生き方を貫いた。

常に居住まいを正し、立ち居振る舞いにも気を配る姿勢に、明治の女性を垣間見るのだった。晩年は笑顔を絶やさず、すべてに「ありがとう」と感謝の心を忘れない、可愛いおばあちゃんになった。

葬儀の席で最期を看取ってくれた長姉や周りの方へお礼の文をしたためていたことが明かされ、いかなる時でも自分の心情を貫く母らしいなと、改めて胸打たれた。

長い人生、苦しみ悲しみ多々あっただろうにみな超越し、凛として霊山へと旅立って行った。一回りも二回りも小さくなった母に、私は「お母さんありがとう、長い間本当にお疲れ様でした。靖国に眠る若きお父さんに、やっと会えますね」とそっと呟き、滂沱の涙を流した。

寸評 すごいですね、明治生まれのお母さん。清く気高く誇り高く、なかなか真似のできるものではありません。日記をしたためたり、周りへの感謝の気持ちを残しておくなんて、ほんと頭が下がります。服部さんいい言葉をかけてあげましたね