血に繋がる故郷

mitake Posted in ひとこと通信
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二十年ぶりに郷里の福島県いわき市に、兄姉達と行ってきました。郷里と言っても、六女で末っ子の私は、生後半年ほどから東京暮らし学齢までをこの地で過ごした兄姉とは、記憶や思い入れといった点で温度差はありましたが、それでも母の故郷であり、ご先祖の墓所や遺物の残るこの地は、やはり忘れがたい場所になっています。

一昨年お世話になった叔父が亡くなり、お墓参りをと思っていましたが、3:11の大地震もあり訪問を延期していました。幸い郷里の家々は壁に多少のひびが入った程度の損傷で済み安堵しました。

学齢までをいわきで過ごした兄姉ですから、いわきの海には格別の愛着があるようで、勿来を過ぎた辺りから完全にいわきモードに突入、湧き出した記憶の泉に次々に在りし日の暮らしが映し出されてきたようで、言葉も「故郷の訛懐かし、、」状態に。

それぞれで抱える用事を済まし、午後の「スーパーひたち」で上野を出て4時過ぎに湯本に到着。シャトルバスで今夜宿泊する「スパリゾート・ハワイアンズ」に向かいます。

一昔前までは常磐炭鉱の基地だった湯本は、「スパリゾート・ハワイアンズ」ができた現在、いわき一の一大観光スポットに大変身!往時を知る者として感慨も一入といったところです。

バイキングの夕食後、お待ちかねのショータイムで一時間の「フラガール」の踊りを楽しみます。フラガール誕生の秘話は、映画「フラガール」にもなり、その後3:11でスパリゾートが被害を受け休業を余儀なくされ、復活までの期間を全国キャラバンで乗り切ったことで、全国からの熱い支援を力に復活したショーは楽しさいっぱいでした。

 

姉達と大浴場で常磐炭鉱なごりの湯を楽しんだのもいい思い出になりそう、、、。

翌日は親戚周りを予定していて、夕方には帰京する日程ですからのんびりしてはいられません。まずは泉の母の生家へ向かいますが、仮設住宅群が目に飛び込んできて、ここは被災地なんだと改めて思わされました。

途中兄姉が通った小学校に立ち寄ります。区画整理がされたという泉の町、タクシーは高台へと向かい、姉はしきりとこんな所じゃなかったと言うのへ、運転手さんは学校が移転したことを伝えます。

今回の旅で、私は集めていたベルマークと未使用切手を、兄姉たちの母校へ届けることを目的にしていましたので、皆.が写真などを撮りあっている間に、祝日で対応する人のいない学校のメールボックスに、説明書きを添えて入れます。

母の生家に近づくと兄姉たちの興奮は抑えきれないものとなり、もうすぐ川だとか、瀬戸山はとか、、。

十年一昔とは言いますが、二十年以上の月日が経てば周辺環境が様変わりするのは当然で、馬小屋も納屋もなくなり、敷地前にはアパートが建つという変貌に、改めて月日の流れを実感する私たちでした。

従兄弟たちに招かれ祖父母や故人たちの写真が掲げられた仏間で焼香後、用意してくれた手料理をつまみながらしばし来し方を語り合います。

従妹ということで、面差しや体形などにどこか血の繋がりを感じないわけにはいきませんでしたし、それぞれがそれぞれの境遇で過ごしてきた日々があったことも理解でき、母たちの代のちょっとした行き違いで疎遠になっていた日々があったことなどもうどうでもよくなっていました。

ご先祖の墓所へ墓参に向かい、埋め立てられコンビナートとなった郷里の海は遥かになっていて、むしろこのことでこの地域は3:11の津波から逃れられたとか。ただ庄屋の瓦屋根が無残な姿になっていましたし、墓所も土壌が隆起したり墓頭が折れたり、震災の現実を垣間見ることになりました。

今回旅のもう一つの目的は、私の生誕の地を訪ねることで、山の中の一軒家だったというその場所は、六十有余年経った今は影も形もなくなっていて、現在は親子連れが安心して遊べる公園になっていました。

この場所に立ち、“血に繋がる故郷”を実感した旅になりました。

 

2012/11/14 記