3月GM秀作 石井誠子「遺品」

mitake Posted in 文章教室, 秀作
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遺品
石井誠子
断捨離という言葉が巷に溢れて久しい。人生の終わりが近づく歳になり、そろそろしなければとみんな思っていながら毎日が過ぎていく。私もそんな一人だが、ここにきて先延ばしをしているわけにはいかなくなった。九十歳は堅いと思っていた夫があっという間に旅たち、遺品の整理をやらざるえなくなったのだ。
少し早いとも思ったが、ぽっかり空いた私の空虚感に仕事を与えるのも良いかなと立ち上がったのだが、さて写真を見ては夫との暮らしの日々を思い出し、CDを聴けばまた思い出し、そんな風にして一日はあっという間に過ぎ、部屋は足の踏み場もない状態になった。もう少し暖かになり、桜の咲く頃にでもなれば、気持ちも楽になるのではと思い、やむなく中止してしまった。
それにしても人はどれほどの物に囲まれ暮らしているのだろう。夫は髪が薄かったので帽子には凝っていたが、他に何を集めるということもなく、どちらかというと物に無頓着だったと思うが、それでも山のような遺品を前に呆然としている。
昔、オードリー・ヘップバーンが「尼僧物語」という映画の中で、この世と神の世、出るも入るも小さなスーツケース一つという生き方をしていたのを思い出した。そこまでシンプルにできなくも、私の終焉は段ボール五つぐらいの生活に収まりたいと思う。
今住んでいるところは約三十年近くになる。三十年の生活を一瞬にしての断捨離は無理だと思うから、足腰の確かなここ三年ぐらいの計画にし、一日一善ならぬ一日一捨、三年で千の物が処分できたら随分楽になるだろう。
それに、捨てるということは生を問うことでもあるのだから、今までのように無為に過ごすこともなくなり、良い修業にもなる。と思いつき一週間が過ぎている。計画通り七つの物は処分できたのだろうか?嗚呼、、、。
寸評 誰しも終末に際して頭を悩ます問題ですよね。「捨てることは生を問うこと」という一言に胸打たれました。