GM4月作品 服部佳子「忠臣蔵外伝」街歩き

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GM4月 服部佳子「忠臣蔵外伝」街歩き

 

春風に誘われて、水辺ラインを巡るミニクルーズに参加した。ただし水辺を巡るクルーズはほんの一部で、実際は両国界隈から鉄砲洲にかけて、忠臣蔵にまつわる史跡を訪ねるクルーズだった。
忠臣蔵と言えば、故郷岡山とは縁が深く、小学生の時授業時間を短縮してまでも、先生は仇討の顛末を話してくれたものだ。高校時代にはバスハイクで行った思い出もあり、忠臣蔵は身近な話だ。
弁舌爽やかなガイドさんの説明だったが、実は生聞きだったりして頭には残っていない。でも百聞は一見に如かずで、広大な吉良邸に驚き、屋敷の傍には金奉行の前原伊助が米屋に扮装して探索を続けていたなどという話も聞けて、、。ちなみに伊助はなかなかの男前だったとガイドさんが付け加えると、一同、ワッと盛り上がる(笑)!
しかしながら芝居や映画でよく知っていたはずの忠臣蔵が、事実と異なる脚色がなされていたとは、初耳で驚くばかり。エピソードの数々をこの年になって知るとは、、。
陽光増し水温む隅田川、行き交う水上バスに手を振りながら、エンジンの響きに身を任せ忠臣蔵の世界に浸ってみるのもいいものだ。

寸評 忠臣蔵は日本人のハートに訴えるエンターティメント、多少の脚色は良しとしましょう。今までも表現者次第で、様々な忠臣蔵が描かれてきています。それを素直に楽しめばいいかなと、、。

GM4月作品 湯浅美代子「ためらい」

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GM4月作品.湯浅美代子「ためらい」
眼科の定期健診で日赤病院へ行き順番を待っていた。すると歩行車に身を委ねそろそろと歩いている小柄な白髪の夫人が、娘さんと思われる方に付き添われて少し離れた椅子に腰かけた。見るともなく見ていると、二十年余り前に、俳句教室でお世話になったT さんに似ているようだが、、。私より十年ほど先輩だったように記憶している。
星野立子先生や高木晴子先生に師事されていたといい、それはそれは人柄の滲む素晴らしい俳句を作ってらした。そんなTさんに憧れ、私はその後Tさんたちのグループに入りお世話になった。お仲間が高齢になって自然消滅して久しい。けれどもあの溌剌として、きびきびとお世話されていた方とは思えないほど老いが進んでいた。よほど声をかけて確かめようか?否否と心の中で葛藤していた。
勿論T さんは私のことなど気にも留めない様子で、そのうち私は自分の番号を呼ばれたのでその場を去り、Tさんの確認をしないまま帰路についた。その事が脳裏から離れないで暫くたった。
毎年年賀状だけは戴いているし、同じ町に住んでいるのに行き会うこともなく二十余年が過ぎてしまっている。それだけ自分も年をとってしまっているのかと思いつつも、なんだか浦島太郎の気分だ。

寸評 こういう経験よくしますよね、それを題材にうまくまとめています。でもこちらの思いが届かない気分って、、、。こうして文字にすることで、少しは気分が晴れたかも、、。

GM 4月秀作「さくらさくら」落合とし子

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GM 4月秀作「さくらさくら」
落合 とし子
今日、桜開花のニュースが発表になった。立春から指折り数えて、このニュースを待っていました。まだまだ寒の戻りかと思えるような寒さの日もあるが、日差しが明るく暖かく感じられる。
つぼみも固く咲くのを我慢しているのかと思われる枝もある。今日か明日かと待ちわびられて咲く桜、何と幸せな花だろう。ただしこの桜をあと何回見ることが出来るのかと、老いを感じては立ち尽くしてしまう。
この季節に夢に向かって希望通りに進むことのできる人生、最高の道でしょうね!桜と共に旅立ちの春、我が家でも三月始め、さくら咲くの一報がはいりました。孫二人が自分の希望に向かって選んだ道へと進みます。
老婆心で山ほどの体験談を参考にと思いいろいろ話しましたが、何の役にも立たなかったかも、、、。可愛い子には旅をさせよと言いますが、どうか山ほどの坂道を登りつめて、大きく大きく羽ばたいて欲しい。おばあちゃんの生あるうちにと願うのは、少々欲深か!

GM4月秀作 「百合の香」石井誠子

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家の中に生花を絶やさぬ友人を知っている。突然伺がっても、季節の花が活けられていて、そこはかとない香りを放っている。そのような習慣がなかった私はいつも感心していた。

下町で育ち、遊び場の路地には不揃いの植木鉢が置かれ、所狭しと 花が咲いていたが、私の家では飾る環境になかった。その頃は両親も若く家に仏壇もなかったからかもしれないが、子沢山で食べることに精いっぱいだったのだろう。

結婚してからは何かの記念日に買ってくる程度で、それも大抵は大ぶりの花瓶にポンと入れるだけだった。それでもそのまま枯れるまでという訳にはいかず、毎日の水替えや花々を整えたりで、その手間暇を考えるとど、どうしても必要な時だけの花となってしまっていた。

ところがここにきて、夫が仏様になり花が欠かせなくなった。「島忠」の花は月曜日の午後に新しいのが入荷すると聞けば足を運ぶといった具合に、夫が逝って変わったことの一つは、こうして部屋に花が常にあることだ。この頃では買った日に誰かが持って来てくれたりすると、狭い我が家は花畑状態になったりする。

先日も夕方近くに、実家のお義姉さんがわざわざ赤羽から来てくれて、白百合の入った大束の供花を持って来てくれた。二日三日経つと香りが部屋中に満ち溢れ、朝な夕なに疲れた私の心を慰めてくれた。

そんなこともあって、供花は死者だけのものでなく、残された者にも安らぎを与えてくれるものなのだとしみじみ感じ、アロマセラピーの効用を身をもって体感している。

折あるごとの花は薬や言葉以上のものがあるのだと、花より団子的思考で日常を優先してきた私にとって、遅まきながら新しい発見をした気分になっている。

 

寸評 八十歳のお祝いをしたばかりだというのに、たった三か月の闘病で他界されるとは、、。供花が残された者に安らぎを与えてくれることに気付かされたという件に、胸を突かれる思いです。日常生活では到達しようのない感想でしょうね。絶えることのない花の中で、故人は石井さんをきっと見守ってくれているはずです。