GM7月 服部佳子「どかんかせんと」

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人生の半ばを過ぎて私はしがらみも拘りも捨てたはずだったが、、。子供のころ、祖母は夜布団を敷く前には必ず箒で部屋の隅々を掃き、朝、寝床を上げるとまた部屋中掃除をするのを日課としていた。
母は洗濯物を取り込むときには、大きな模造紙を広げてその上に置いた。それを怠って度々注意された。
そんな日常が嫌で、何か面白いことはないかと常に考える子供だった。

家に誰もいない夏のある日、田舎の家は土間が広く、上り口が高くなっているのだが、そこへ何歩で飛び上がれるか、女装までつけて試みたところ、向う脛を思い切って打って万事休す!
母が帰ってきて、ちょっとおいでと怖い顔!”お行儀が悪い”どうして下駄が左右にこんなに離れているのか?履物はきちんとそろえて脱ぎ、すぐまた履けるように向きを変えておく等々!
その都度気付いたことは教えられてきた。

しかし結婚後は狭い東京暮らしで、生活様式は一変し「布団の端は踏まない」では通れないし。「骨ごと食べるように」と言われた瀬戸内のいりこ出汁は化学調味料に代わった。毎日こうしなければ、こうあらねばと自分を追い込んできたが、寄る年波、体は思うように動かなくなり、子供たちからは「もっと楽すれば」と言われ続けて、、。すべての拘りは「ま、いいか」「後でやろう」と片づけてしまった。

ところが近頃になって、この怠惰な生活を「どがんかせんと」と焦っている。
終末期がいよいよ差し迫り自分なりの拘りを、どのように具体的に表すか、、。悩ましい日々は続く。

寸評 「どげんかせんと」でました岡山弁!七十余年生きてきて、それに服部さんは持病をお持ちですから、良よい子でばかりはいられませんよね!

 

7月GM 石井誠子『生活へのこだわり「ナウ」』添削

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夫が逝って五か月が経った。時間とは無情でまた寛容だとつくづく思う。部屋のあちこちも少しづつ変わり始めた。食器の数、クロゼットの中、テーブルの位置等、、。そして私の外出時間も、、。

以前は夕食の前には帰宅することを心がけていたのだが、先日は三時に家を出て一人で六本木まで出かけた。句会や相手の都合ではそんな時間帯の外出もあるが、三時と自分で決めたのは意外だ。 混んでいると聞いていた「ポンペイ壁画展」だったので、人が引いた時間をと思い三時にしたのだ。お陰で作品にゆっくり対峙でき楽しめた。

帰途外食と考えたが、華やかなレストランに独りの自分の姿を想像して止めた。それに、夫とのデートは住まいが一ノ橋ということもあり麻布十番でよく飲んだのだ。男だったら絵になるのにとつぶやきながら、駅ビルでお弁当を買い家で遅い夕食を済ませた。

それにしてもこの充実感はなんなのだ?心的過程で言えば、希望→計画→実行→達成の結果?そんなに小難しく考えなくてもいいのだが、私はいつも誰かと一緒でないと楽しくない。これは大家族で育ったせいか、夫が常に側にいたせいか、今は突然訪れた独りの自由な時間に戸惑っているのだろう。

しかし身近な人の訃報を毎日のように聞かされると、戸惑っている時間はない。寂しいけれど、残酷な言い方をすれば至福の時なのかも。夫がくれた贈り物なのか、、。そこで脳も足腰も大丈夫と思うこの四・五年を心の欲するままに暮らしてみようと思う。五十年余の母と妻の生活で本当の自分を見失っているのかもしれぬ。いや、そのことすら気づかず暮らし終えていくのかも、、。

遅まきながら自分探しと自らに言い聞かせ、心動かされるものを知ったら、まず重い腰を上げ、一人遊びにも慣れよう。これが新たな生活へのこだわりだ!

 

寸評 タイトルしゃれてますね!よくよく自分と向き合っての現在のベストアンサー?ですね。石井さんの人生に対する考えを、私、常に参考にさせていただいています。

 

GM7月 湯浅美代子「せこい」

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六月に入り入梅とも相まってうっとうしい日が続いている。そんなうっとうしさが倍、いや三倍にも五倍にもなるような、都知事の乱脈な税金の無駄遣いが報道される毎日が続いている。

かって、東大卒のエリートとして若くして准教授となり、数多の著書を著し、討論番組で政治に対して熱い思いを語っていた。報道番組の雄、田原総一朗にも認められていたようだ。

やがて都民の熱い支持を得て知事になり、都民は大いに期待した。その知事の職権乱用ぶりが明らかにされ、報道陣に糾弾されることになるとは、、、。

テレビ報道はその一語一語を鮮明に映し出し、その表情目配せまでアップで映し出す。汽車に質問を受けている知事の目は「何を言ってる」とでもいうような眼差し、自分の非を認めざるを得なくなって言い訳をする目。本来謝罪するべきであろう場面でも、決して誤ることがない

そんな球団が何日か続いているうちに、さすがに疲労が表情に出てきた。その表情をみるのも気の毒と思える程に、、、。早く非を認め謝罪したほうが、、、等と他人事ながら思えた。

しかし第三者に精査をしてもらいますと、即答できるような質問でも第三者にとその場逃れを繰り返していた。しかしついに立場を保てなくなり辞任せざるを得なくなった。

最後の映像は数秒しか見ることはできなかったが、その表情と眼差しは謝罪の言葉もなくむしろ悔しさいっぱい「俺は何も疾しくない!」という目に映っていた。

そう感じたのは私だけではないと思う。「SEKOI」という薄っぺらな言葉を世界に広めた罪は実に重い!

寸評 「人の噂も七十五日」なんてことにならないように、疑惑はしっかり解明していただきたいですよね。「SEKOI」が流行語になるようなことのないようにと願います。