グループM 平成26年2月 秀作

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一年の計

石井 誠子

正月も過ぎ、冷蔵庫にお節もなくなった頃、私の誕生日十一日が来る。

子供の頃は特別祝ってもらうこともなく、気が付いたように母が「そうそうあんたは今時分に生まれたんだよ」などと他人事のように言っていた。

その頃は私もそんな誕生日の迎え方が当たり前と思っていたのか、寂しいとも感じなかったが、親になってこの方、娘たちには大げさなほど祝ってやっていることを思うと、本当は寂しかったのかもしれない。

さて今年七十五歳になる私は、孫や娘たち夫婦から「おめでとう」と祝われ、嬉しくも面映ゆい時を過ごすのが習わしとなった。そして来し方行く末を思い、いくつかのことを自分に約束するのだ。

良い俳句を創りたい。卓球もうまくなりたい。気ままな旅にも出たい。夫に優しい妻でありたい。そう、十二月の作文で書いた老支度もやらねばと、数え上げたらきりがない。

しかし一番の課題は、大人になりきれぬ自分であることだ。詩人の谷川俊太郎は「自分に潜んでいる子どもを怖れず、そこからエネルギーを汲み取れるようになれば大人になれる」と言っている。

自分の中の受容できない沢山のものを、自己否定や傍観で終わらせてしまうのではなく、ありのままの自分を深く見つめていくことで少しは大人になれるのかもしれない。

七十五歳にしてこんな青臭いことを言うのも恥ずかしいが、これもエネルギーを思えば希望が持てる。遅きに失した感があるが、自分に納得できる年の取り方をしたいものだ。

七十五歳の大人の文章ですね。著名人の言葉の引用は難しいんですが、いいタイミングで引用していますね。力みのない味わい深い文章です。

 

 

六月の旅

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文章教室 9月の秀作です
六月-2 (2)
六月-2 (1)
六月-3

《寸評》
この旅は娘さんの誕生日記念の旅であると同時に、嫁入り前、独身最後の母娘の旅ともなりました。湯浅さんにとって思い出深い旅となったことでしょう。湯浅さんおめでとうございます。 

 

 

憧れの野辺山宇宙天文台

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夏の一日、八ヶ岳山麓に広がる野辺山高原を訪れました。信州方面が好きで、年に一度は足を運びます。車が清里道路に入ると、周辺は高原のたたずまいに変わり、こじゃれたペンションや牧場などが点在するようになります。何とコスモスも咲き出していて、立ち寄ったお寿司屋さんで聞くと、日中は暑いけれど、朝夕は涼しいくらいだとか。暦の上では立秋も過ぎましたし、コスモスが咲きだすのも不思議じゃあないですよね。

今回野辺山を訪ねた一番の目的は、「野辺山宇宙電波天文台」へ行き、最大45メートルのパラボナアンテナ群を見学することでした。なんで今急にパラボナ?いや急にではないんです。もう二十年前くらいに『山へ帰った猫』という物語を読んだんですが、それ以来この天文台を訪ねたいと思っていたんです。そう、パラボナ群の絵と、茶トラ猫ルーの絵に、すっかり心惹かれちゃったんですね。

今回パラボナアンテナの実物を見て、その大きさにただただびっくり!見上げていると頸が痛くなってきます。しかもしばらくして、ちょっとした高台からパラボナアンテナ群を眺めたら、何と角度を変えて動いているじゃあないです。あんなに大きなものがちょっとの間に動いちゃうなんてびっくりです。

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パラボナに似せた広場に寝そべり、高原の風に吹かれ、宇宙と繋がるパラボナ群を眺めていると、日常のこまごましたことなど本当に小さなことのように見えてきて、、。

ただし残念だったのは、物語の主人公茶トラ猫のルー君に会えなかったことでしょうか?物語では仕様がないんですけど、、。
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日々を大事に

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私の原風景

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兄との別れ

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新緑が美しい季節、緑色は心を癒してくれる。今日は梅雨入り前の五月晴れで、汗ばむほど、、。

紫陽花の花の蕾が日一日と大きくなり、早いものは少し色づいている。そんな季節の中、四月に旅立った兄の納骨と四十九日の法要が営まれた。

私は生後一年八か月で父と死別し、十歳年上の兄が父親代わりをしてくれた。高校へ行くとき結婚するとき、兄の世話になった。時には厳しくされて、亡き父を恋しく思ったこともあった。

母が亡くなった後は、母に代わりどうしているか心配して度々上京してきた。体も声も大きく、病気に負けるような人ではなかったのだが、、。最後は一週間ばかりの入院で、家族に迷惑もかけず静かな旅たちだった。

兄は十八歳で少年兵に志願し母を悲しませた。横須賀の海軍学校で終戦を迎えた。毎年のように戦友会があり、とても楽しみにしていた。また戦友をとても大事にしていて、体調の思い戦友がいると、どこまでも出かけて行って見舞っていた。

その仲間も昨年はとうとう二人になってしまったと寂しそうだった。その一人も無理してきた様で、来年は無理だろうと話していたが、兄も今年は出席できなかった。享年八十七歳だった。

お酒が好きだった兄だったので、今頃は戦友と黄泉の国で、大きな声で再会を喜び、杯を交わしていることだろう。

寸評 私も父を一歳半でなくしていて、全く記憶がありません。お兄さんを思う気持ちが込められた、鎮魂のメッセージですね。

2013/06/06 記

鳥ぎん自由が丘店閉店

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また一つ馴染みの味がなくなりました。四十年来親しんできた、焼き鳥と釜飯の店「鳥ぎん」自由が丘店が、五月いっぱいで四十年来守ってきた暖簾を下ろしました。

鳥ぎんの味を知ったのは中学生の頃、当時銀座に務めていた姉に、銀座鳥ぎんへ連れて行ってもらったのが最初でした。結婚して品川区に住み、年に二、三度は自由が丘店へ出向き、焼き鳥、釜飯、モツ煮込み等を堪能しました。

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店の方たちともツーカーで話が通り、特にオーナーさんは大の犬好きで、犬のいる生活を長くしてきた私とバッチリ話が合い、しばし犬談議に花を咲かせたものです。

鳥ぎんの焼き鳥はタレが濃く、でもそれが私にはぴったり合い、東急大井町線で十分ほどの自由が丘へ出かけました。鳥ぎん以外にもモンブランのケーキや光街の散策等楽しめる自由が丘は好きな街でしたから、出かけるのにしんどさはなかったんです。都心に出かけるわけではないので、あまり服装を気にしなくてもいいのが出かける要因でしたね。

閉店の理由はいろいろあるようですが、一つには後を継ぐ人がいないということが大きな理由のようですね。お疲れさんでしたとオーナーさんに声をかけ、店を後にしました。ご馳走様でした!

 

2013/06/01 記

 

桜を見られた幸せ グループM 4月秀作

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を見られた幸せ 落合トシ子

今年の冬は特に寒かったような気がしたが、暦の上では立春が過ぎ、春一番が吹き、桃の節句が過ぎ、、。あとは桜便りを待つばかりと思っていたら、突然の開花宣言に驚かされた。

お使いの帰りに近くの中央公園を通ってみたら、道路際に伸びた枝にはもうたくさんの花が開いていた。彼岸入りの日、お墓に行く途中、車窓から見える桜も大分咲いている。どこも例年よりだいぶ早いようだ。

思い出に残る桜の園はやはり新宿御苑か。子供の遠足に付き添って行ったことがあり、桜の花弁を蝶ちょ蝶ちょと追って行った子供の姿が目に浮かびます。

福島の日本三大桜といわれる滝桜見事の一言です。樹齢千年を超えるといい、名前どおり四方に広げた枝から、滝の流れるように美しく咲いている。根元を踏みつけないように柵で囲い、少し離れたところから眺めるようになっているが、それが却って美しさを際立たせている。

山梨の神代桜は、たくさんの支えを受けて頑張って咲いている。痛々しいけれど、さぞ手入れが大変なのではと心配してしまう。

今年も桜を見られた幸せと、あと何回このあでやかな桜を見られるだろかと、高齢者になりそんな思いが脳裏を過ぎる。

 

寸評 わざわざの花見というのをしたことがない私なので、滝桜とか神代桜とか話を聞くだけでお花見気分に浸れました。

2013/05/30 記

再会  グループM4月秀作

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「再会」  服部 佳子

「桜ばな いのちいっぱいに咲くからに 命をかけて わが眺めたり」岡本かの子

今年は記録的な速さで、靖国神社の桜の開花が告げられた。対称的にあの年は、四月に入っても花冷えのする日が続いて、長女の入学式に桜が間に合うのだろうかといつになく開花が待たれた。そんな折、母が突然岡山から上京してくるという。いきなり何事かと訝りながら出迎えた東京駅で、このまま千鳥ヶ淵の墓苑にお参りしたいという。人伝に戦没者の墓苑が建立されているのを知って、是非一度お参りしたかったという。一途な母の行動力に脱帽した。

翌日は入学式を迎える孫の成長を喜び、「いつか又満開の頃に来たいと」と言い残して満足げにさっさと帰郷していった。その後、母の気持ちに応えようと桜の季節には度々千鳥ヶ淵に出向いた。

四、五年前だったか、参拝の帰り道、三々五々と集まってくる人々に出くわした。スピーカーから聞こえてくる主催者の言葉を聞いていると、「今日、日本がこれまでの復興発展を遂げたのは、かって多くの戦友が、この歌のように靖国の桜の花の下に再会を約して戦場に散って行った。その御霊に心から感謝し、これからの日本を考えるためにも、英霊と共に「同期の桜」を高らかに歌いましょう」と促していた。

このような趣旨のもとに「同期の桜」を歌う会が開催されていることを知り、心の奥にやり切れない痛みを覚えた。時代に翻弄された多くの若者が、青春の命を捧げて守った、美しい祖国!

その日本はまた爛漫の春が巡りきている。靖国の御霊は今年も懐かしい人々との再会を、千秋の思いで、待っていてくれるだろう。

 

寸評 私も先だって初めて靖国神社を訪れ、文中のような光景に出くわしました。お母さんの突然の上京から、話の展開が巧みです。

2013/05/16 記

 

猫バトル

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猫が一匹増えました。そうです、我が家にはこの夏15歳になるオス猫が君臨していて、そこへ2歳のオス猫が住人に加わったからさあ大変!実はしばらく一人暮らしをしていた息子が家に戻ってくることになり、飼っていた猫も一緒にやってきたというわけです。

息子が連れてきた猫はのらちゃんで、車にはねられ重傷をおい、息子が面倒を見ているうちに、結局飼うことになってしまった「ヒロシ」。我が家の「ウミ」とは真逆の毛色で、ウミがほぼ黒なのに対してヒロシはほとんどの面積がホルスタイン柄の白、この色合いだけでも前途暗澹としていて、、、。

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手前が我が家の主「ウミ」 奥で接近の機会をうかがっているのが「ヒロシ」

人間も猫も相性ってものがありまして、、、はなから「ワオウ~ン」「シャー」と対決モード。無理もありませんよね、ウミは15年我が家で過ごしていて、そこへやってきた新参者をそう簡単に受け入れるわけがありません。

いやあそれにしても、ヒロシの若さはウミには刺激どころか、うるせえな~indecision若いヒロシは仲間ができた喜びで遊びたくてしようがない、、。幸い取っ組み合いの喧嘩バトルにはなっていないので助かってますけどね!ゆっくり時間をかけて仲良くなろうじゃあないですか!

 

2013/05/28 記