GM㋂秀作 断捨離 湯浅美代子

mitake Posted in 文章教室, 秀作
コメントは受け付けていません。

GM三月秀作
「断捨離」湯浅 美代子
主人が逝って早六年が過ぎた。時々、介護に追われた日々が思い出されるこの頃だ。同時に、まあよくも介護ができたなあとも思う。布団屋を営みながら、殆ど毎日施設へ通い、面会時間ぎりぎりまで面倒を見て帰宅した。
幸い当時は介護施設が増設の一途を辿っていた頃で、比較的入所しやすく、三か月入所が目安だったが、施設によっては一年以上も受け入れてくれる処もあり有り難かった。
六年が過ぎ時間ができて、夫が残した身の回りの品々等を片づけているのだが、昔だったら形見分けしてお世話になった方々や身内に受け取って戴くところなのだが、近頃は物が豊富で却って迷惑になってしまうのではと二の足を踏んでいる。
たまたま体形の似た身内がいたので、コートやスーツなどは着てもらったが、肌着や普段着は思い切って捨てた。ただ二十枚以上あるパジャマは、なぜか捨て切れず、未だに段ボール箱に入ったままになっている。
たまに箱を開けて見ていると、ああこのパジャマを着ていた時に高熱に驚かされ、後のことを病院に託して家路についたこと、そして身動きしてはならないとき、繋ぎのパジャマに鍵をかけ辛い気持ちを抱きながら家路についたこと等々、、。当時の思いが蘇ってくる。 だから今まで捨てず、押し入れに入れたままになっているが、そろそろ考えなくては、、、。
寸評 パジャマが二十枚以上あるとは、、。肌着は捨ててもパジャマは捨てられない心理とは、パジャマはその時々の物語があるようです。

3月GM秀作 石井誠子「遺品」

mitake Posted in 文章教室, 秀作
コメントは受け付けていません。

遺品
石井誠子
断捨離という言葉が巷に溢れて久しい。人生の終わりが近づく歳になり、そろそろしなければとみんな思っていながら毎日が過ぎていく。私もそんな一人だが、ここにきて先延ばしをしているわけにはいかなくなった。九十歳は堅いと思っていた夫があっという間に旅たち、遺品の整理をやらざるえなくなったのだ。
少し早いとも思ったが、ぽっかり空いた私の空虚感に仕事を与えるのも良いかなと立ち上がったのだが、さて写真を見ては夫との暮らしの日々を思い出し、CDを聴けばまた思い出し、そんな風にして一日はあっという間に過ぎ、部屋は足の踏み場もない状態になった。もう少し暖かになり、桜の咲く頃にでもなれば、気持ちも楽になるのではと思い、やむなく中止してしまった。
それにしても人はどれほどの物に囲まれ暮らしているのだろう。夫は髪が薄かったので帽子には凝っていたが、他に何を集めるということもなく、どちらかというと物に無頓着だったと思うが、それでも山のような遺品を前に呆然としている。
昔、オードリー・ヘップバーンが「尼僧物語」という映画の中で、この世と神の世、出るも入るも小さなスーツケース一つという生き方をしていたのを思い出した。そこまでシンプルにできなくも、私の終焉は段ボール五つぐらいの生活に収まりたいと思う。
今住んでいるところは約三十年近くになる。三十年の生活を一瞬にしての断捨離は無理だと思うから、足腰の確かなここ三年ぐらいの計画にし、一日一善ならぬ一日一捨、三年で千の物が処分できたら随分楽になるだろう。
それに、捨てるということは生を問うことでもあるのだから、今までのように無為に過ごすこともなくなり、良い修業にもなる。と思いつき一週間が過ぎている。計画通り七つの物は処分できたのだろうか?嗚呼、、、。
寸評 誰しも終末に際して頭を悩ます問題ですよね。「捨てることは生を問うこと」という一言に胸打たれました。