GM 3月「酉年の決意」服部佳子 

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寸評 服部さんの一大決心です。見守りましょう、そして文末の語呂合わせをお楽しみください。

 

GM 3月「還暦の息子」落合とし子

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寸評 この原稿は仏壇の引き出しにでもいれておいて、落合さんこがこの世を旅立った後、誰かが気が付いて読んでくれればいいかな、そんな思いで書かれた味わい深いエッセーです。

GM4月作品 服部佳子「忠臣蔵外伝」街歩き

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GM4月 服部佳子「忠臣蔵外伝」街歩き

 

春風に誘われて、水辺ラインを巡るミニクルーズに参加した。ただし水辺を巡るクルーズはほんの一部で、実際は両国界隈から鉄砲洲にかけて、忠臣蔵にまつわる史跡を訪ねるクルーズだった。
忠臣蔵と言えば、故郷岡山とは縁が深く、小学生の時授業時間を短縮してまでも、先生は仇討の顛末を話してくれたものだ。高校時代にはバスハイクで行った思い出もあり、忠臣蔵は身近な話だ。
弁舌爽やかなガイドさんの説明だったが、実は生聞きだったりして頭には残っていない。でも百聞は一見に如かずで、広大な吉良邸に驚き、屋敷の傍には金奉行の前原伊助が米屋に扮装して探索を続けていたなどという話も聞けて、、。ちなみに伊助はなかなかの男前だったとガイドさんが付け加えると、一同、ワッと盛り上がる(笑)!
しかしながら芝居や映画でよく知っていたはずの忠臣蔵が、事実と異なる脚色がなされていたとは、初耳で驚くばかり。エピソードの数々をこの年になって知るとは、、。
陽光増し水温む隅田川、行き交う水上バスに手を振りながら、エンジンの響きに身を任せ忠臣蔵の世界に浸ってみるのもいいものだ。

寸評 忠臣蔵は日本人のハートに訴えるエンターティメント、多少の脚色は良しとしましょう。今までも表現者次第で、様々な忠臣蔵が描かれてきています。それを素直に楽しめばいいかなと、、。

GM 4月秀作「さくらさくら」落合とし子

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GM 4月秀作「さくらさくら」
落合 とし子
今日、桜開花のニュースが発表になった。立春から指折り数えて、このニュースを待っていました。まだまだ寒の戻りかと思えるような寒さの日もあるが、日差しが明るく暖かく感じられる。
つぼみも固く咲くのを我慢しているのかと思われる枝もある。今日か明日かと待ちわびられて咲く桜、何と幸せな花だろう。ただしこの桜をあと何回見ることが出来るのかと、老いを感じては立ち尽くしてしまう。
この季節に夢に向かって希望通りに進むことのできる人生、最高の道でしょうね!桜と共に旅立ちの春、我が家でも三月始め、さくら咲くの一報がはいりました。孫二人が自分の希望に向かって選んだ道へと進みます。
老婆心で山ほどの体験談を参考にと思いいろいろ話しましたが、何の役にも立たなかったかも、、、。可愛い子には旅をさせよと言いますが、どうか山ほどの坂道を登りつめて、大きく大きく羽ばたいて欲しい。おばあちゃんの生あるうちにと願うのは、少々欲深か!

GM4月秀作 「百合の香」石井誠子

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家の中に生花を絶やさぬ友人を知っている。突然伺がっても、季節の花が活けられていて、そこはかとない香りを放っている。そのような習慣がなかった私はいつも感心していた。

下町で育ち、遊び場の路地には不揃いの植木鉢が置かれ、所狭しと 花が咲いていたが、私の家では飾る環境になかった。その頃は両親も若く家に仏壇もなかったからかもしれないが、子沢山で食べることに精いっぱいだったのだろう。

結婚してからは何かの記念日に買ってくる程度で、それも大抵は大ぶりの花瓶にポンと入れるだけだった。それでもそのまま枯れるまでという訳にはいかず、毎日の水替えや花々を整えたりで、その手間暇を考えるとど、どうしても必要な時だけの花となってしまっていた。

ところがここにきて、夫が仏様になり花が欠かせなくなった。「島忠」の花は月曜日の午後に新しいのが入荷すると聞けば足を運ぶといった具合に、夫が逝って変わったことの一つは、こうして部屋に花が常にあることだ。この頃では買った日に誰かが持って来てくれたりすると、狭い我が家は花畑状態になったりする。

先日も夕方近くに、実家のお義姉さんがわざわざ赤羽から来てくれて、白百合の入った大束の供花を持って来てくれた。二日三日経つと香りが部屋中に満ち溢れ、朝な夕なに疲れた私の心を慰めてくれた。

そんなこともあって、供花は死者だけのものでなく、残された者にも安らぎを与えてくれるものなのだとしみじみ感じ、アロマセラピーの効用を身をもって体感している。

折あるごとの花は薬や言葉以上のものがあるのだと、花より団子的思考で日常を優先してきた私にとって、遅まきながら新しい発見をした気分になっている。

 

寸評 八十歳のお祝いをしたばかりだというのに、たった三か月の闘病で他界されるとは、、。供花が残された者に安らぎを与えてくれることに気付かされたという件に、胸を突かれる思いです。日常生活では到達しようのない感想でしょうね。絶えることのない花の中で、故人は石井さんをきっと見守ってくれているはずです。

 

GM㋂秀作 断捨離 湯浅美代子

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GM三月秀作
「断捨離」湯浅 美代子
主人が逝って早六年が過ぎた。時々、介護に追われた日々が思い出されるこの頃だ。同時に、まあよくも介護ができたなあとも思う。布団屋を営みながら、殆ど毎日施設へ通い、面会時間ぎりぎりまで面倒を見て帰宅した。
幸い当時は介護施設が増設の一途を辿っていた頃で、比較的入所しやすく、三か月入所が目安だったが、施設によっては一年以上も受け入れてくれる処もあり有り難かった。
六年が過ぎ時間ができて、夫が残した身の回りの品々等を片づけているのだが、昔だったら形見分けしてお世話になった方々や身内に受け取って戴くところなのだが、近頃は物が豊富で却って迷惑になってしまうのではと二の足を踏んでいる。
たまたま体形の似た身内がいたので、コートやスーツなどは着てもらったが、肌着や普段着は思い切って捨てた。ただ二十枚以上あるパジャマは、なぜか捨て切れず、未だに段ボール箱に入ったままになっている。
たまに箱を開けて見ていると、ああこのパジャマを着ていた時に高熱に驚かされ、後のことを病院に託して家路についたこと、そして身動きしてはならないとき、繋ぎのパジャマに鍵をかけ辛い気持ちを抱きながら家路についたこと等々、、。当時の思いが蘇ってくる。 だから今まで捨てず、押し入れに入れたままになっているが、そろそろ考えなくては、、、。
寸評 パジャマが二十枚以上あるとは、、。肌着は捨ててもパジャマは捨てられない心理とは、パジャマはその時々の物語があるようです。

3月GM秀作 石井誠子「遺品」

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遺品
石井誠子
断捨離という言葉が巷に溢れて久しい。人生の終わりが近づく歳になり、そろそろしなければとみんな思っていながら毎日が過ぎていく。私もそんな一人だが、ここにきて先延ばしをしているわけにはいかなくなった。九十歳は堅いと思っていた夫があっという間に旅たち、遺品の整理をやらざるえなくなったのだ。
少し早いとも思ったが、ぽっかり空いた私の空虚感に仕事を与えるのも良いかなと立ち上がったのだが、さて写真を見ては夫との暮らしの日々を思い出し、CDを聴けばまた思い出し、そんな風にして一日はあっという間に過ぎ、部屋は足の踏み場もない状態になった。もう少し暖かになり、桜の咲く頃にでもなれば、気持ちも楽になるのではと思い、やむなく中止してしまった。
それにしても人はどれほどの物に囲まれ暮らしているのだろう。夫は髪が薄かったので帽子には凝っていたが、他に何を集めるということもなく、どちらかというと物に無頓着だったと思うが、それでも山のような遺品を前に呆然としている。
昔、オードリー・ヘップバーンが「尼僧物語」という映画の中で、この世と神の世、出るも入るも小さなスーツケース一つという生き方をしていたのを思い出した。そこまでシンプルにできなくも、私の終焉は段ボール五つぐらいの生活に収まりたいと思う。
今住んでいるところは約三十年近くになる。三十年の生活を一瞬にしての断捨離は無理だと思うから、足腰の確かなここ三年ぐらいの計画にし、一日一善ならぬ一日一捨、三年で千の物が処分できたら随分楽になるだろう。
それに、捨てるということは生を問うことでもあるのだから、今までのように無為に過ごすこともなくなり、良い修業にもなる。と思いつき一週間が過ぎている。計画通り七つの物は処分できたのだろうか?嗚呼、、、。
寸評 誰しも終末に際して頭を悩ます問題ですよね。「捨てることは生を問うこと」という一言に胸打たれました。

グループM 2月秀作 落合とし子「杖の音」

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グループM 2月秀作
「杖の音」   落合とし子

昨年10月、長姉が92歳で彼岸へと旅立った。穏やかな旅たちだった。離れて暮らしていても元気でいれば、目に見えない糸で気持ちが伝わっていたのにと思うととても淋しい。
早死にした父に代わり母を助け、戦時中は出征中の兄に代わり兄弟の面倒を見ていた。男仕事も全部姉の肩にかかっていた。

終戦後まもなく復員してきた義兄と結婚し酪農を営んでいたが、早朝から休みなく牛に関わり生き物相手で大変な様子だった。
その義兄が五十代で他界、働き者の姉もさすがに一人では酪農は続けられず、また義兄の病気が血液の病気だったので、費用がかさみ大変苦労した。
広島に原爆が投下された時、義兄は四国にいて次の日には広島の現地に入って救助にあたっていたというから、原爆症だったのかも?

苦労を重ねた姉が晩年になって上京した折、明治神宮へ行きたいというので案内した。ところが愛用の杖を駅まで送ってもらった車の中に忘れてきたとかで、参道を歩くのに腰が痛いという。私は神宮の森に入り込み、手ごろな枝を探して「エイヤー!」と膝で叩き折り杖代わりにしてあげた。
姉はいい具合だとご機嫌で、次の訪問場所NHKでもコツコツと音を立てて歩いていた。あの時のコツコツという音が今でも聞こえてくるようだ。後で聞いた話では、杖は明治神宮の杖ということで鴨居に挟んで記念にとってあるということだった。旅立つとき一緒に収めてあげればよかったかなあ、、、。

寸評 兄弟姉妹の慈愛溢れるいい話ですね。お姉さんにとって明治神宮の杖は宝物だったんでしょうね。

GM秀作 雨の中の御一行様 落合とし子

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2016年平成28年が幕を開けました。穏やかで通年よりは暖かな年始に、なにやら良いことがありそうな予感が、、、。でもないかな、株価暴落の幕開けでちょっと落ち込んでいる方々もいるかも、、、。

かとおもえば、あの国が核実験をしたニュースが一瞬にして世界中を駆け巡り、、、。

スタートからこれではちょっとブルーな気分に、いやいやこんなことを世界は許さないはず。私たちは私たちらしく精一杯心いっぱいに生きていければいいかなと、、、。

では今年もいつものように、人生の酸いも甘いも知り尽くした、文章教室グループMの皆さんの、味わい深い文章をお楽しみください。

参議院会館を見学した感想が率直な文章で書かれています

参議院会館を見学した感想が率直な文章で書かれています

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スーパームーン

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スーパームーンご覧になりましたか?私は横断歩道の陸橋越し、ビルの谷間に大きな大きな月現る!正にスーパームーンです!なんだかホッコリ嬉しい!!こういう話題が増えるといいのに、、

「月にむら雲」こんな言葉がすっと口をついて出てきました。

「月にむら雲」こんな言葉がすっと口をついて出てきました。