血に繋がる故郷

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二十年ぶりに郷里の福島県いわき市に、兄姉達と行ってきました。郷里と言っても、六女で末っ子の私は、生後半年ほどから東京暮らし学齢までをこの地で過ごした兄姉とは、記憶や思い入れといった点で温度差はありましたが、それでも母の故郷であり、ご先祖の墓所や遺物の残るこの地は、やはり忘れがたい場所になっています。

一昨年お世話になった叔父が亡くなり、お墓参りをと思っていましたが、3:11の大地震もあり訪問を延期していました。幸い郷里の家々は壁に多少のひびが入った程度の損傷で済み安堵しました。

学齢までをいわきで過ごした兄姉ですから、いわきの海には格別の愛着があるようで、勿来を過ぎた辺りから完全にいわきモードに突入、湧き出した記憶の泉に次々に在りし日の暮らしが映し出されてきたようで、言葉も「故郷の訛懐かし、、」状態に。

それぞれで抱える用事を済まし、午後の「スーパーひたち」で上野を出て4時過ぎに湯本に到着。シャトルバスで今夜宿泊する「スパリゾート・ハワイアンズ」に向かいます。

一昔前までは常磐炭鉱の基地だった湯本は、「スパリゾート・ハワイアンズ」ができた現在、いわき一の一大観光スポットに大変身!往時を知る者として感慨も一入といったところです。

バイキングの夕食後、お待ちかねのショータイムで一時間の「フラガール」の踊りを楽しみます。フラガール誕生の秘話は、映画「フラガール」にもなり、その後3:11でスパリゾートが被害を受け休業を余儀なくされ、復活までの期間を全国キャラバンで乗り切ったことで、全国からの熱い支援を力に復活したショーは楽しさいっぱいでした。

 

姉達と大浴場で常磐炭鉱なごりの湯を楽しんだのもいい思い出になりそう、、、。

翌日は親戚周りを予定していて、夕方には帰京する日程ですからのんびりしてはいられません。まずは泉の母の生家へ向かいますが、仮設住宅群が目に飛び込んできて、ここは被災地なんだと改めて思わされました。

途中兄姉が通った小学校に立ち寄ります。区画整理がされたという泉の町、タクシーは高台へと向かい、姉はしきりとこんな所じゃなかったと言うのへ、運転手さんは学校が移転したことを伝えます。

今回の旅で、私は集めていたベルマークと未使用切手を、兄姉たちの母校へ届けることを目的にしていましたので、皆.が写真などを撮りあっている間に、祝日で対応する人のいない学校のメールボックスに、説明書きを添えて入れます。

母の生家に近づくと兄姉たちの興奮は抑えきれないものとなり、もうすぐ川だとか、瀬戸山はとか、、。

十年一昔とは言いますが、二十年以上の月日が経てば周辺環境が様変わりするのは当然で、馬小屋も納屋もなくなり、敷地前にはアパートが建つという変貌に、改めて月日の流れを実感する私たちでした。

従兄弟たちに招かれ祖父母や故人たちの写真が掲げられた仏間で焼香後、用意してくれた手料理をつまみながらしばし来し方を語り合います。

従妹ということで、面差しや体形などにどこか血の繋がりを感じないわけにはいきませんでしたし、それぞれがそれぞれの境遇で過ごしてきた日々があったことも理解でき、母たちの代のちょっとした行き違いで疎遠になっていた日々があったことなどもうどうでもよくなっていました。

ご先祖の墓所へ墓参に向かい、埋め立てられコンビナートとなった郷里の海は遥かになっていて、むしろこのことでこの地域は3:11の津波から逃れられたとか。ただ庄屋の瓦屋根が無残な姿になっていましたし、墓所も土壌が隆起したり墓頭が折れたり、震災の現実を垣間見ることになりました。

今回旅のもう一つの目的は、私の生誕の地を訪ねることで、山の中の一軒家だったというその場所は、六十有余年経った今は影も形もなくなっていて、現在は親子連れが安心して遊べる公園になっていました。

この場所に立ち、“血に繋がる故郷”を実感した旅になりました。

 

2012/11/14 記

街道てくてく旅 ⑫

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てくてく⑫ 宇都宮~石那田

 

猛暑で中断していました日光街道てくてく旅三か月ぶりに再開しました。今回は宇都宮から石那田までのおよそ14キロを歩く予定ですが、、。

宇都宮へはいつものように上野からJR快速ラビットで1時間20分、街道歩きの起点となる東武宇都宮駅まで、県庁、東武ホテルや裁判所の前を通り30分かけて到達。9時のスタートになりました。

 

宇都宮は栃木県の県庁所在地だけあって、交通量はかなりありますね。そうそう宇都宮の地名の由来には諸説あるようですが、私的には「一ノ宮二荒山神社」の一ノ宮が転訛したとされる説を採用したいと思います!ハイ!

昨夜来の雨が上がって今日は快晴で暑いくらい、ここからは途中電車で引き返すことはできなくなりバスで戻ることになります。バスは一時間に数本という運行状況ですから、ひとバス逃がすと後の手当てがうまくいかなくなります。ピッチを上げて歩かないと!

朝食はコーヒーとロールパン一個でしたから、そろそろお腹に何か蓄えないと歩くのに支障をきたします。何せ今日は長丁場ですからね。折よくコーヒー屋さん発見、入ります入ります、食べます食べます、飲みます飲みます!

ミックスサンド、goo!ブレンドコーヒー、goo!さあ歩きましょう。ススキが土手を覆うカマ川を渡り、POST OFFISと書かれた可愛らしい郵便局発見!そうだ栃木県ならではの限定版切手があるかも、、、。

ありましたよ栃木ならではの切手をゲット!そうです皆さんにも想像がつくあれです、そう餃子といちごと日光東照宮、中禅寺湖、戦場ヶ原、、、!こういう特産品や名所があるのは強みですね~。

下戸祭~中戸祭~上戸祭と日光道は戸祭地区を通過していきます。その間.県立体育館、国立栃木病院、養護学校などが次々に登場します。将軍の日光社参の休息所となっていた真言宗光明時が道路沿いにあり、お参りしていくことに。

光明寺を過ぎると、日光街道旧道と新道が交差する地点に。ここからは桜並木が続き、日光連山も遠望されナイスな景観の道を歩くことに。といい気分で歩いていたところ、ぬぬ、、、あれは??スーパーマリオの城と見まがう可愛い建物出現!勿論、マリオの城な訳ないですけどね、、、。

続いて民家の庭先に登場したのはハロゥインのかぼちゃ??ぬぬ、これも違いますよね~!あ~でも単調な街道歩きに一興でしたね!

間もなく見えてきたのは智賀都神社の対の大ケヤキ。これはパワーをもらえそうですね~。苔むした幹回りに触れると、ひんやりとして気持ちよかったですね~。

さてそろそろ腹時計はランチを要求してま~す。お蕎麦屋さんを探せ!百メートルぐらい先にお蕎麦屋さんの看板が、、おっとこちらには中華チェーン店の看板が、、、

おっとその前に、「徳次郎城址」とかって、、、。せっかくだから寄って行こうかとは思いますが、入口はほの暗い森状態ですが、、大丈夫でしょうか??

真昼の明るい状況なんですが、入口真っ暗ですよ~、こわごわこわごわそろりそろり、下草は湿っぽいですし、陽射しがあまり入ってこないし、、。「本丸跡」ってこの辺にあったんだねとの3連れの言葉に、もう撤退姿勢でへっぴり腰の私は回れ右してもう戻る気十分

その瞬間「ギャ~」蛇です、蛇が動きました。もう私はすっ飛びで来た道を戻ります。「フー!」でも落ち着いて考えたら、来年は巳年、何か縁起がいいことが有るかも、、。って思うことにしましょう。さあお昼にしましょう!

手打ちやや硬めのお蕎麦はなかなかいける味ですよ、それにしても天ぷらも頼んだんですが、どこのお店もすごい量です、もうお腹いっぱ~い!

さあ杉並木にさしかかりましたよ、日光って感じがしてきましたね。時間は2時半ちかくになっていて、目指す石那田までバス時間には間に合いそうにありません。無理しないで見えてきたバス停でバスに乗るとしましょう。

 

 

 

2012/11/02 記

 

 

 

十五夜の月

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台風一過10月1日明け方、窓越しに明るい光が射し込み外へ出

てみると、東の空にたなびく雲の帯を従え、十五夜の月が輝いて

いました。

 

それはそれは神々しいまでの輝きで、先ほどまで荒れ狂っていた台風

17号の風はどこへ行ったのかと思うほど。

 

「月光値千金」思いがけない天からのプレゼントに、しばらくその場に

佇んで十五夜の月を愛でました。

 

パソコンも携帯電話もない千年も前の人々は、自然に敬意を表し自

然に従順に生き、情景を歌に詠みそうした時を楽しんでいました。

 

現代の人々も、せめてこんなに美しい月夜には、自然に抱かれ心を休

めてはいかがでしょう。

 

2012/10/19 記

 この作品は、10月5日東京新聞読者投稿欄「発言」に掲載され

たものです。

さつま芋が届きました

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猛暑転じて秋の気配濃い日本列島、っていうか、すでに初霜や

初雪の便りも届く様変わり。季節は確実に歩みを進めていますね。

 

さて、昨日小さなゆうパックが届き、送り先が心友のR子とあり、お、今年もきたな、とにっこりして箱を開けます。laugh出てきたのは予想通り

さつま芋で、大ぶりなのとちびが新聞紙にくるまれて入っていました。

今年も収穫ができたんだと、友は日々の暮らしをつつがなく過ごしてい

るようだと、なんだかホッとしました。

 

さあ、とりあえず甘辛に煮て食べるとしましょうか。あとは天ぷら、ふかし

芋、大学芋etc。日々の暮らしに彩りを添えて、、小さい秋見つけたsmiley

 

2012/10/10 記

素晴らしきかな日本!

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文章教室 GM 

10月 テーマ「風立ちぬ」 秀作

湯浅 美代子

 残暑が一向に収まらない九月、夏以来遠出の外出を控えていたが、

私の喜寿のお祝いにと旅のギフト券が子供と孫たちから贈られ、折角

の機会でもあり、韓流ファンとしてはここは韓国へ行ってみなくて

は、、、。

出獄手続きを終え飛行機の乗り込む。飛行機には何度か乗っている

が、海外は初めてでいささか緊張する。台風一過の空は澄み渡り、白

雲が下方を流れていくのがよく分かる。

二時間余りで仁川空港に到着。空から見える仁川は広大な干拓の一

隅にあり、長い海岸線が続いている。さあ韓国への第一歩です。とは言

え、辺りの景色は日本とあまり変わらない。

ただ道路は広い道幅で片側六車線。ところどころ未完の支線が目につ

き、発展途上の感も否めない。 走っている車はほとんど韓国現代社の

で、聞くところによると、韓国では九十五%が国産車という徹底ぶり

だ。

 

今回参加したのは世界遺産を巡るツアーで、先ず「イ・サン」の舞

台である「水原華城」へ。城と言っても日本の城とは違い、東西南北に

高い楼門を建て、囲いを石垣で連ねている。門の一角に立つと全て見

渡せる。日本の城とはだいぶ趣が違う。

 

 

韓国四千何百年の歴史は国盗りの戦いの連続で、国名が何度も変

わり、近世になって朝鮮となり、そして南北に分かれ現在の「韓国」に

なっている。建造物は極彩色の木造がほとんどで、日本の奈良時代に

繋がっているようだ。

 

KTX(韓国高速鉄道)で縦断したのだが、車窓から見える景色は全く

日本と変わらず、強いて言えば河川敷が広大で、農地として大いに活

用されている。

そういえば韓国は世界一野菜を食する国とか。しかしその料理とはほ

とんど混ぜ混ぜで食べたり、スープをご飯にかけたり和えた野菜をご飯

に乗せて食べたりする。

宮廷料理はいざ知らず、こうした日常のごく普通の食事を見た限りで

は、日本料理の微妙で繊細且つ美しい器と盛り付けにま

で気配りするのとはだいぶ違う。 今回の韓国旅行を通して、改めて

日本の食文化の素晴らしさを感じた。

 

寸評 今、問題の韓国へ行ったんですね。けっこう勇気ある行動です

よね。でもこうした文化交流は大切なことですよね。日本料理の繊細且

つ微妙な味わいが愛おしと感じられて、旅した甲斐があったというもの

ですよね。七十歳のいいプレゼントになりましたね。こうして書き残され

ておけば、お子さんお孫さんへのいいメッセージにもなりますよね。

ムシャムシャコリコリ

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 文章教室GM 9月の秀作

         落合トシ子 「ムシャムシャコリコリ」

 

「くださいな」「いらっしゃい」「何にしますか?」七十五年も前の幼友達とのお店屋さんごっこの会話です。

生まれ育ったのは群馬県高崎、昭和十年代の高崎ではサンドイッチもオムレツも食べたことがなかったし、食事のメニューなんてしゃれた言葉も知らなかった頃です。

ゴザを敷き、木の葉のお皿に赤い実や花びらなどを載せお箸は枝。色合いも良く、こぼれんばかりの盛り合わせのお料理の出来上がりです。

「はいどうぞ」「おいしいね」「ムシャムシャコリコリ」といっては食べる真似をした。「ご馳走様でした」こんな遊びを毎日のようにやっていた。

世の中は戦時中の食糧難時代、ただし葉っぱと木の実のこのお店屋さんは、お替り自由いくらでもできた!

お店屋さんごっこのメンバーはY子さんとKこさんと私の仲良し三人組三人とも末っ子で気が合った。

成人して嫁ぎ先が埼玉県、茨城県、東京都ばらばらになったが、同窓会で会ったり、巣鴨のお地蔵さんで待ち合わせをしたり、我が家にも来てもたっりして時々会うようにしていた。

月日を重ね、三人共後期高齢者となり、昨年はYこさんが体調を崩し入院した。Kこさんは視力が落ちてもう三年も会っていない。高齢者になると会うこともままならず残念でならない。

あの美味しかったお店屋さんの盛り合わせ料理を、今度は三人で本物を戴きたい。「ムシャムシャコリコリ」と言いながら、、、。

 

寸評 七十年ほど前の話になるんでしょうか、メルヘンいっぱいのお話ですね。私にもこんなことがありましたね。あの時の友達はどうしてるのかしら、、、

 

2012/09/08 記

猫ちゃん騒動顛末記

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先ほど所用があって外出したんですが、いやいや猛烈な暑さでした。ただ~し、今朝なんか窓を開け

た途端、お!涼しい?てな感じで、ちょっと息がつけましたよ。暑さももうあと一息か、、、。

 

さてこの三週間ほど、当店近辺で突如巻き起こった猫ちゃん騒動。我が家の飼い猫ウミにそ

っくりなにゃんこが現れ、ちょいとエサをあげたところ、連日お見えになる?事態に。”シメジ”と名付け

た黒猫は、しばらくすると白い小さな猫を引き連れて?くるようになりました。

 

白猫にも名前をというわけで、こちらは”シメジ”より更に細いことから”エノキ”!エノキはしっかりシメ

ジの行動を真似し、しっかりエサもいただきま~す?近所の方たちも協力的にエサをくれたりして、

「今日は来た?」「はい、只今お食事中!」なんて会話を交わしたりして、猫のいる風景を結構楽しん

でいたんですね。

 

でも残念ながら猫が好きな人ばかりではないのがこの世の常で、しばらくするとシメジがパタッと姿を

見せんなくなったんです。水をひっかけられたという実際の話からはじまって、交通事故に巻き込まれ

たのかとか、誰かに飼われたのかとか、虐待疑惑もささやかれ、、、。

 

そんな騒動の間も、エノキは朝に夕に子猫独特のか細い鳴き声でエサをせがみにやってきます。或

る日エノキが出入りする路地に罠が(中に入ると締まるゲージ)仕掛けられ、エノキは間もなくして仕

掛けにかかり捕獲されてしまいました。

 

仕掛けたのはNPO法人「横浜アニマルファミリー」の方で、話を聞けば通報者がいて、このまま放っ

ておくと、子供が増えていってしまうし、虐待や事故などもあり、捕獲して避妊手術をしてワクチンを

打ち、里親を見つけて飼ってもらうのが一番いいという話でした。

 

エノキのことを真剣に考えるなら、それが一番ベストな解決方法といえるようで、捕獲されて可愛そう

と情に流されてはいけないと仲間で納得!引き取ってくれと依頼されてもエサ代などはいただけない

という話に、息子はいくばくかのお金をその方に渡します。

 

翌日インターネットで「横浜アニマルファミリー」を開いてみたところ、この顛末が間違いなく書かれて

いて。、ノキの写真も掲載されていて一安心です。エノキよ幸せになるんだよ!それにしてもシメジ

は何処に、、?酷いことになっていなければいいんですが、、、

 

話変わって、秋近し、、で、木の温もりとコットンの優しさをということでアジアン雑貨を入れてみ

ました。お気にいっていただけるといいんですが、、、。

 

 

 

 

邂逅の「苔の森」

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「明日はどこの山に行くの?」

登山前日の夕食時、娘の質問に「八ヶ岳の麦草峠から高見石にしようかな」と父の答え。さらに続けて「ここ、小さいときに皆で行ってるんだよ」

私もきつかったあの時の登山はしっかり覚えている。残雪でぬかるむ登山道に手を焼き、寒さもありとにかくしんどかった。

「ふ~ん、な~んにも覚えてないけど」「お父さんがYちゃんをおぶって、お母さんとお兄ちゃんが荷物を持って登ったのよ」

「あのときは失敗した、あんなに雪が残っているとは思わなかったから、、、」山オタクの夫としては不覚なり!

出かけたのは二十五年前の五月はじめ、町は春本番にウキウキの頃ですからね、無理もないですし、山はまだまだ春眠中だったんですね。

二十五年前というと娘は三歳、雪道を歩きとおせるわけもなく、、。息子にしても五歳、皆の荷物を持ってよく歩きましたよ。やっぱ男の子ですね~!

その夜、当時の写真を探し出してきて見てみました。とにかく雪道は寒そうで歩きにくそう、どうしてこんな時期にこんな山へ行ったのか??

アルバムのページをめくっていくと、残雪で悪戦苦闘の「苔の森」を経て高見石へ、そこから下って白駒池畔で撮った写真には、青と赤、おそろいのミッキーマウスのジャージを着た子供たちが笑顔で収まっています。寒い疲れた、、って、ああだこうだ言ってた途中の山行が、まるでなかったような子供たちの笑顔がいい!

さて月日は流れ、三年前、ワーキングホリデーで一年間カナダに滞在した娘。バンフで就いた仕事は氷河ツアーガイド。三つ子の魂百までも、、っていうんですか、やっぱり自然相手の仕事に就いたわけです。一年間のワーホリ後、帰国した娘はすっかり山ガールに!

どこか行こうかとなると、山!

標高2000Mを超える麦草峠から丸山への登山道には、アザミ、ウスユキ草、ゴゼンタチバナ、リンドウなど高山植物が咲き乱れ、鹿侵入防止柵のネットを潜って登山開始。

丸山までの樹林帯は、ダケカンバやシラビソ、樅、ブナなど針葉樹にはじまり、倒木から岩石いたるまでびっしりと苔に覆われていて、ここがいわゆる「苔の森」です。

 

苔が覆っているので滑りやすく、足元によりいっそう気を配るのでかなり気疲れします。小一時間で2329Mの丸山に、展望のきかない丸山でしたが、小さな祠が祀られ手を合わせます。きれいな蝶も留まっていて、息を整える間に蝶を撮ろうとパチリ!さあ高見石まではあと一息。

人の声が聞こえ高見石小屋の屋根が見えてきました。ここまで登り下りですれ違うパーティーは数えるほどでしたが、小屋から高見石にかけてかなりの登山者がいますねえ。様々な方角から集まってきた登山者なんでしょう。

 

高見石で高みの見物、と呑気に構えていましたが、いやいやどうして這いつくばっていくような塩梅に冷や汗ものでしたね。でも眼下に樹林に囲まれた白駒池が見え、樹林の緑と池の深い蒼さが素晴らしく、ここまでのしんどい山歩きの疲れなど吹っ飛んでしまいました。

 

高見石小屋に戻り、名物の揚げパンを戴きます。黄な粉とココア味共にうまい!姉が欲しがっていたカウベルもゲット、さあ白駒池めざしひたすら下っていきましょう。

白駒池には登山に来たとは思えないような初老の方々や、スニーカー姿の若い方やご婦人などが池の周りを散策しています。下の駐車場からは散策気分で来られますからね。麦草ヒュッテには14時過ぎに帰着、25年目の「苔の森」は、気分爽快に終了です!ああそうそう、池畔で二十五年前の構図と同じに娘の写真をパチリ!

 

余談になりますが、登山開始時に両腕にリラックマという黄色い虫よけバンドをして登山に取りかかったんですが、これがなかなかの効き目だったんですよ。おかげで蚊にもさされませんでしたし、虫も寄ってきませんでした。実はこのリラックマ、当店で販売している虫よけバンドなんです。

宣伝ついでにもう一つ、首には同じく当店で販売中のクールネックという冷却グッズを巻いて行ったんですが、濡らした個所はすぐ乾いてしまいましたが、汗は流れたりせずいい感じでしたね。

 

2012/08/30 記

特別なポテトチップ

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「わさび味のポテトチップ」特別変わったチップではないんですが、これが大違い!

このポテトチップただのポテトチップとは訳が違うんです。何が?

実は、大変苦労してゲットしたチップなんですねsmileyロンドンオリンピックメダリストたちの銀

座パレード、皆さんの記憶に新しいと思いますが、50万人の人たちがメダリストたちを一目見

ようと銀座に詰めかけましたよね。その中に当店のお客様が行ってたんですね!?

 

「選手の顔とか見れたんですか?」「携帯で写真撮るのに必死になってたら、バスが通り過ぎ

ちゃってたの」「しっかりその目で見ておけばよかったのに」「せめて沢さんは見ておきたかっ

たんだけど、、、」

 

イベントってそんなもんですよね。結局ほとんど写真は撮れなかったとか。そして大混雑から

の脱出が待っていて、急ぐこともないからとしばらく休憩して帰ったお客さん、帰りがけに何気

に買ったのが「わさび味ポテトチップス」だったそうです。

 

特別なチップスはなんだか特別な味がしましたし、あの感動と興奮がよみがえりましたね。

ご馳走様でした。

 

2012/08/25 記

北緯四十度のトウキビ

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秋田県男鹿半島の最北端に位置する入道崎、修学旅行以来四十五年ぶりにその入道崎に行ってきました。

日本の灯台五十選にも選ばれているという白黒縞模様の入道崎灯台。四十五年前の記憶はないに等しく、こんな縞模様だったのかと改めてしみじみ眺めてしまいました。

灯台とかって大好きで、私的には絶対最上部まで行かなきゃ気が済みません。そこで最上部に上って眼下を眺めると、夏空の下、穏やかに海原を広げる日本海が望めて何とも気持ちいい!

 

この海原の向こうには朝鮮半島があり、そして大陸に繋がっているのだと思うと、ちょっとグッとくるものがありますねえ。

灯台下には緑の芝生が広がっていて、まるでイースター島のモアイ像のような、北緯四十度のモニュメントが立っていて目を引きます。

 

今回秋田行きを思い立ったのは、会社の同僚で秋田在住のN子を尋ねたいと思ったから。やはり同僚だったMちゃんを誘ったところ、二つ返事でOKがでて、せっかくなら竿灯も見ちゃいましょうとなり、その日程で実行となったわけです。

六十代に突入し、この先の予測がつかない昨今.、親類縁者、知人友人それに愛する動物たちが、思いがけぬ時に命を終えてしまい、心にぽっかり穴が開いてしまうことが度々で、、、別に厭世気分になっているわけではないんですが、これからはできるだけ、会いたいと思う人にはできる限り会い、行きたいと思うところにはなるべく行っておこう。そんな動機から、今回の秋田行きを実行に移したというわけです。

寝台車に乗ったことがないというMちゃん、それではと夜行寝台発翌日最終新幹線で帰京という“弾丸ツアー”の決行になりました。

寝台特急「あけぼの」は、N子の待つ駅に定刻に到着。小さな木造駅舎の改札には、手を振って待つN子の姿が見えます。

私とは八年ぶり、Mちゃんに至っては、会社を辞めて以来実に三十余年ぶりの再会で、ひとしきり賑やかな再会劇が、東北の小さな駅頭で繰り広げられました。

 

 

 

 

竿灯を見る予定もあり、逆算して秋田駅には遅くとも四時までには着いていたい。N子はその辺の事情を察して、効率よく私たちを案内してくれることに。

まずは、今回一番の目的地、男鹿半島寒風山へと向かいます。ああこの景色、この景色。四十五年前に見た景色と再会です。山肌に咲き競う山百合の群落が、日本海を渡る風に揺れとてもきれい!

展望台から眺める八郎潟干拓地は、半島の三分の一の広さだとか。八郎潟湖は遥かに手をかざして臨める位置にあり、干拓の膨大な面積に、何ほどかの労力が費やされたのか見当もつきません。

 

 

   

話は入道崎に戻り、北緯四十度のモニュメントに腰掛、N子が畑で採って茹でてきてくれたトウモロコシを頬張ります。

サルに狙われ三分の一が食べられてしまったという曰くつきのトウモロコシは、サルたちも多分大満足したと思う甘さで、私たちをもてなそうと、心を砕くN子の心の温かさもいっぱい詰まった、北緯四十度のトウキビを、思いっきりはじけていただきました!

 

 

2012/08/16  記