GM 3月「酉年の決意」服部佳子 

mitake Posted in 文章教室, 秀作
コメントは受け付けていません。

20170310170314512(クリックしてください)

 

寸評 服部さんの一大決心です。見守りましょう、そして文末の語呂合わせをお楽しみください。

 

GM 3月「還暦の息子」落合とし子

mitake Posted in 文章教室, 秀作
コメントは受け付けていません。
kannreki(クリックしてください)

寸評 この原稿は仏壇の引き出しにでもいれておいて、落合さんこがこの世を旅立った後、誰かが気が付いて読んでくれればいいかな、そんな思いで書かれた味わい深いエッセーです。

GM7月 服部佳子「どかんかせんと」

mitake Posted in 文章教室
コメントは受け付けていません。

人生の半ばを過ぎて私はしがらみも拘りも捨てたはずだったが、、。子供のころ、祖母は夜布団を敷く前には必ず箒で部屋の隅々を掃き、朝、寝床を上げるとまた部屋中掃除をするのを日課としていた。
母は洗濯物を取り込むときには、大きな模造紙を広げてその上に置いた。それを怠って度々注意された。
そんな日常が嫌で、何か面白いことはないかと常に考える子供だった。

家に誰もいない夏のある日、田舎の家は土間が広く、上り口が高くなっているのだが、そこへ何歩で飛び上がれるか、女装までつけて試みたところ、向う脛を思い切って打って万事休す!
母が帰ってきて、ちょっとおいでと怖い顔!”お行儀が悪い”どうして下駄が左右にこんなに離れているのか?履物はきちんとそろえて脱ぎ、すぐまた履けるように向きを変えておく等々!
その都度気付いたことは教えられてきた。

しかし結婚後は狭い東京暮らしで、生活様式は一変し「布団の端は踏まない」では通れないし。「骨ごと食べるように」と言われた瀬戸内のいりこ出汁は化学調味料に代わった。毎日こうしなければ、こうあらねばと自分を追い込んできたが、寄る年波、体は思うように動かなくなり、子供たちからは「もっと楽すれば」と言われ続けて、、。すべての拘りは「ま、いいか」「後でやろう」と片づけてしまった。

ところが近頃になって、この怠惰な生活を「どがんかせんと」と焦っている。
終末期がいよいよ差し迫り自分なりの拘りを、どのように具体的に表すか、、。悩ましい日々は続く。

寸評 「どげんかせんと」でました岡山弁!七十余年生きてきて、それに服部さんは持病をお持ちですから、良よい子でばかりはいられませんよね!

 

7月GM 石井誠子『生活へのこだわり「ナウ」』添削

mitake Posted in 文章教室
コメントは受け付けていません。

夫が逝って五か月が経った。時間とは無情でまた寛容だとつくづく思う。部屋のあちこちも少しづつ変わり始めた。食器の数、クロゼットの中、テーブルの位置等、、。そして私の外出時間も、、。

以前は夕食の前には帰宅することを心がけていたのだが、先日は三時に家を出て一人で六本木まで出かけた。句会や相手の都合ではそんな時間帯の外出もあるが、三時と自分で決めたのは意外だ。 混んでいると聞いていた「ポンペイ壁画展」だったので、人が引いた時間をと思い三時にしたのだ。お陰で作品にゆっくり対峙でき楽しめた。

帰途外食と考えたが、華やかなレストランに独りの自分の姿を想像して止めた。それに、夫とのデートは住まいが一ノ橋ということもあり麻布十番でよく飲んだのだ。男だったら絵になるのにとつぶやきながら、駅ビルでお弁当を買い家で遅い夕食を済ませた。

それにしてもこの充実感はなんなのだ?心的過程で言えば、希望→計画→実行→達成の結果?そんなに小難しく考えなくてもいいのだが、私はいつも誰かと一緒でないと楽しくない。これは大家族で育ったせいか、夫が常に側にいたせいか、今は突然訪れた独りの自由な時間に戸惑っているのだろう。

しかし身近な人の訃報を毎日のように聞かされると、戸惑っている時間はない。寂しいけれど、残酷な言い方をすれば至福の時なのかも。夫がくれた贈り物なのか、、。そこで脳も足腰も大丈夫と思うこの四・五年を心の欲するままに暮らしてみようと思う。五十年余の母と妻の生活で本当の自分を見失っているのかもしれぬ。いや、そのことすら気づかず暮らし終えていくのかも、、。

遅まきながら自分探しと自らに言い聞かせ、心動かされるものを知ったら、まず重い腰を上げ、一人遊びにも慣れよう。これが新たな生活へのこだわりだ!

 

寸評 タイトルしゃれてますね!よくよく自分と向き合っての現在のベストアンサー?ですね。石井さんの人生に対する考えを、私、常に参考にさせていただいています。

 

GM7月 湯浅美代子「せこい」

mitake Posted in 文章教室
コメントは受け付けていません。

六月に入り入梅とも相まってうっとうしい日が続いている。そんなうっとうしさが倍、いや三倍にも五倍にもなるような、都知事の乱脈な税金の無駄遣いが報道される毎日が続いている。

かって、東大卒のエリートとして若くして准教授となり、数多の著書を著し、討論番組で政治に対して熱い思いを語っていた。報道番組の雄、田原総一朗にも認められていたようだ。

やがて都民の熱い支持を得て知事になり、都民は大いに期待した。その知事の職権乱用ぶりが明らかにされ、報道陣に糾弾されることになるとは、、、。

テレビ報道はその一語一語を鮮明に映し出し、その表情目配せまでアップで映し出す。汽車に質問を受けている知事の目は「何を言ってる」とでもいうような眼差し、自分の非を認めざるを得なくなって言い訳をする目。本来謝罪するべきであろう場面でも、決して誤ることがない

そんな球団が何日か続いているうちに、さすがに疲労が表情に出てきた。その表情をみるのも気の毒と思える程に、、、。早く非を認め謝罪したほうが、、、等と他人事ながら思えた。

しかし第三者に精査をしてもらいますと、即答できるような質問でも第三者にとその場逃れを繰り返していた。しかしついに立場を保てなくなり辞任せざるを得なくなった。

最後の映像は数秒しか見ることはできなかったが、その表情と眼差しは謝罪の言葉もなくむしろ悔しさいっぱい「俺は何も疾しくない!」という目に映っていた。

そう感じたのは私だけではないと思う。「SEKOI」という薄っぺらな言葉を世界に広めた罪は実に重い!

寸評 「人の噂も七十五日」なんてことにならないように、疑惑はしっかり解明していただきたいですよね。「SEKOI」が流行語になるようなことのないようにと願います。

GM6月 湯浅美代子「自然薯」

mitake Posted in 文章教室
コメントは受け付けていません。

 

自然薯と言っても、町に出回っている自然薯はほとんどが販売用に形も色目も整えられていて、当然調理はしやすくただし特徴である粘りは弱いか、、。手が痒くなるあの粘りが、、。

自然薯は土深くまで延びていて、掘り出すのは容易でないと農業を営む叔父から聞いていた。その叔父は自然薯取りの名人で、とれたての物をよく送ってくれた。

その自然薯を使ったトロロ汁、私は醤油のだし汁を使って作っていて、家族がそろっての食事の折に出すと、鉢いっぱいに作ってもあっという間に空になってしまったものだ。

先日孫が日本を離れて嫁ぐことになり、親戚で記念の旅行に出かけることになった。総勢八名、静岡に集合し日本平へ向かった。昼食を丸子のとろろ汁と決め、自動車に分乗し菜の花の咲く野辺や、桜の咲く川べりの道を抜けて山腹の丸子へと向かった。

昔は五十三次の道を歩いて来て、これから津谷峠を前に精をつける為とろろ汁を食したという謂れがあり、百年は経っているという大きな茅葺屋根の畳敷きの部屋は満員だった。我々は奥の部屋に通され、待っている間周囲を眺めると、江戸時代に使われたという古いすり鉢や看板等が飾られていた。

やがて各々のすり鉢に入ったとろろ汁、香の物、麦飯のお櫃が運ばれてきた。この店はまさに自然薯を使っているので、粘りが強くコクがあり、出汁は何かしらと伺うと味噌を使っているという。そういえば昔父が、出汁は味噌を入れたほうがいいと言っていた。この店の味を覚えておいて、今度自分が作るときは味噌を試してみようと思う。

 

寸評 私も丸子のトロ汁を戴きました。実は私も醤油でだしを取っていましたが、丸子のトロ汁を戴いてからは、時折は味噌出汁で戴いたりもします。なんだかトロ汁が食べたくなりました。

 

 

 

GM4月作品 服部佳子「忠臣蔵外伝」街歩き

mitake Posted in 秀作
コメントは受け付けていません。

 

GM4月 服部佳子「忠臣蔵外伝」街歩き

 

春風に誘われて、水辺ラインを巡るミニクルーズに参加した。ただし水辺を巡るクルーズはほんの一部で、実際は両国界隈から鉄砲洲にかけて、忠臣蔵にまつわる史跡を訪ねるクルーズだった。
忠臣蔵と言えば、故郷岡山とは縁が深く、小学生の時授業時間を短縮してまでも、先生は仇討の顛末を話してくれたものだ。高校時代にはバスハイクで行った思い出もあり、忠臣蔵は身近な話だ。
弁舌爽やかなガイドさんの説明だったが、実は生聞きだったりして頭には残っていない。でも百聞は一見に如かずで、広大な吉良邸に驚き、屋敷の傍には金奉行の前原伊助が米屋に扮装して探索を続けていたなどという話も聞けて、、。ちなみに伊助はなかなかの男前だったとガイドさんが付け加えると、一同、ワッと盛り上がる(笑)!
しかしながら芝居や映画でよく知っていたはずの忠臣蔵が、事実と異なる脚色がなされていたとは、初耳で驚くばかり。エピソードの数々をこの年になって知るとは、、。
陽光増し水温む隅田川、行き交う水上バスに手を振りながら、エンジンの響きに身を任せ忠臣蔵の世界に浸ってみるのもいいものだ。

寸評 忠臣蔵は日本人のハートに訴えるエンターティメント、多少の脚色は良しとしましょう。今までも表現者次第で、様々な忠臣蔵が描かれてきています。それを素直に楽しめばいいかなと、、。

GM4月作品 湯浅美代子「ためらい」

mitake Posted in 文章教室,
コメントは受け付けていません。

GM4月作品.湯浅美代子「ためらい」
眼科の定期健診で日赤病院へ行き順番を待っていた。すると歩行車に身を委ねそろそろと歩いている小柄な白髪の夫人が、娘さんと思われる方に付き添われて少し離れた椅子に腰かけた。見るともなく見ていると、二十年余り前に、俳句教室でお世話になったT さんに似ているようだが、、。私より十年ほど先輩だったように記憶している。
星野立子先生や高木晴子先生に師事されていたといい、それはそれは人柄の滲む素晴らしい俳句を作ってらした。そんなTさんに憧れ、私はその後Tさんたちのグループに入りお世話になった。お仲間が高齢になって自然消滅して久しい。けれどもあの溌剌として、きびきびとお世話されていた方とは思えないほど老いが進んでいた。よほど声をかけて確かめようか?否否と心の中で葛藤していた。
勿論T さんは私のことなど気にも留めない様子で、そのうち私は自分の番号を呼ばれたのでその場を去り、Tさんの確認をしないまま帰路についた。その事が脳裏から離れないで暫くたった。
毎年年賀状だけは戴いているし、同じ町に住んでいるのに行き会うこともなく二十余年が過ぎてしまっている。それだけ自分も年をとってしまっているのかと思いつつも、なんだか浦島太郎の気分だ。

寸評 こういう経験よくしますよね、それを題材にうまくまとめています。でもこちらの思いが届かない気分って、、、。こうして文字にすることで、少しは気分が晴れたかも、、。

GM 4月秀作「さくらさくら」落合とし子

mitake Posted in 秀作
コメントは受け付けていません。

GM 4月秀作「さくらさくら」
落合 とし子
今日、桜開花のニュースが発表になった。立春から指折り数えて、このニュースを待っていました。まだまだ寒の戻りかと思えるような寒さの日もあるが、日差しが明るく暖かく感じられる。
つぼみも固く咲くのを我慢しているのかと思われる枝もある。今日か明日かと待ちわびられて咲く桜、何と幸せな花だろう。ただしこの桜をあと何回見ることが出来るのかと、老いを感じては立ち尽くしてしまう。
この季節に夢に向かって希望通りに進むことのできる人生、最高の道でしょうね!桜と共に旅立ちの春、我が家でも三月始め、さくら咲くの一報がはいりました。孫二人が自分の希望に向かって選んだ道へと進みます。
老婆心で山ほどの体験談を参考にと思いいろいろ話しましたが、何の役にも立たなかったかも、、、。可愛い子には旅をさせよと言いますが、どうか山ほどの坂道を登りつめて、大きく大きく羽ばたいて欲しい。おばあちゃんの生あるうちにと願うのは、少々欲深か!

GM4月秀作 「百合の香」石井誠子

mitake Posted in 文章教室, 秀作
コメントは受け付けていません。

 

家の中に生花を絶やさぬ友人を知っている。突然伺がっても、季節の花が活けられていて、そこはかとない香りを放っている。そのような習慣がなかった私はいつも感心していた。

下町で育ち、遊び場の路地には不揃いの植木鉢が置かれ、所狭しと 花が咲いていたが、私の家では飾る環境になかった。その頃は両親も若く家に仏壇もなかったからかもしれないが、子沢山で食べることに精いっぱいだったのだろう。

結婚してからは何かの記念日に買ってくる程度で、それも大抵は大ぶりの花瓶にポンと入れるだけだった。それでもそのまま枯れるまでという訳にはいかず、毎日の水替えや花々を整えたりで、その手間暇を考えるとど、どうしても必要な時だけの花となってしまっていた。

ところがここにきて、夫が仏様になり花が欠かせなくなった。「島忠」の花は月曜日の午後に新しいのが入荷すると聞けば足を運ぶといった具合に、夫が逝って変わったことの一つは、こうして部屋に花が常にあることだ。この頃では買った日に誰かが持って来てくれたりすると、狭い我が家は花畑状態になったりする。

先日も夕方近くに、実家のお義姉さんがわざわざ赤羽から来てくれて、白百合の入った大束の供花を持って来てくれた。二日三日経つと香りが部屋中に満ち溢れ、朝な夕なに疲れた私の心を慰めてくれた。

そんなこともあって、供花は死者だけのものでなく、残された者にも安らぎを与えてくれるものなのだとしみじみ感じ、アロマセラピーの効用を身をもって体感している。

折あるごとの花は薬や言葉以上のものがあるのだと、花より団子的思考で日常を優先してきた私にとって、遅まきながら新しい発見をした気分になっている。

 

寸評 八十歳のお祝いをしたばかりだというのに、たった三か月の闘病で他界されるとは、、。供花が残された者に安らぎを与えてくれることに気付かされたという件に、胸を突かれる思いです。日常生活では到達しようのない感想でしょうね。絶えることのない花の中で、故人は石井さんをきっと見守ってくれているはずです。