日光街道てくてく旅 ⑦前篇

栗橋~古河

昨夜からの雨はまだ降っているようで、窓の外からは小さな雨音が聞こえてきます。

この分なら大雨にはならないかな?この時点で私は今日の街道歩きにゴーサイン!

夏場と冬場は暑い寒いで長時間の歩行は厳しく、季節のいい今が一番の稼ぎ時、ここで歩かないでい

つ歩くんだと意気込みます。

軽い朝食を済ませ、7時過ぎに浅草へ向けて家を出ます。伊勢崎線車中から望むスカイツリーは、曇

天で上の部分は見えず。その頃から雨つぶが車窓を濡らし始めます。

10時過ぎ栗橋駅着、駅前にある「静御前の墓」に寄り、なぜこの地に静御前の墓があるのか、解説板

に書かれた経緯を読んでみます。

義経を追って奥州へ向かった静御前でしたが、この地で義経の死を知り、当時ここにあった高柳寺で

義経の死を弔ったとか。

そののち静御前は、病で22歳の生涯を閉じたそうで、若かったですね~。

傘をさしての街道歩きは初めて、ここまで好天に恵まれて、、というか、天気の悪い日は行きませんで

したからね。

栗橋宿旧道は人気もなく静まり返っています。平日の雨の朝でちょっと寂しかったですね。

利根川土手下にこんもりとした茂みがあり、石碑には関所跡と書かれています。この関所、「入り鉄砲

に出女」に厳しい関所だったそうですよ。

向かいにある八坂神社にお参りし、今日の街道歩きの無事を祈願します。こちらの神社では、あ・うん

の像ならぬ、珍しい亀と鯉の像がありました。水準基準とかいう碑もあり、ちょっとユニークな神社でし

た。

さあ利根川です、ここを渡れば茨城県。いやあそれにしても、利根川って広くて長くてスケールの大き

な川ですねえ。荒れることも度々で、「坂東太郎」なあんてきかんぼうな別名もついてますよね。利根川

大肺のほぼ中央が埼玉県と茨城県の県境、おごそかに茨城県に記念の一歩を記します。

2012//04//23 実行

日光街道てくてく旅 ⑦後編

茨城県古河市~野木町

トラックの陸送便が引きも切らずに走る利根川大橋を渡りきると、茨城県古河市はずれの中田宿。

公民館らしき建物の前で初老のご婦人がバスを待つ風情でしたので、近くにあったバス停の時刻表を

見ると、2~3時間に一本の運行で、折よくあと5分ほどで「ぐるりん」というそのバスが来ます。

私たちはバスに乗るわけではないので、歩きながら振り返り振り返りバスの到着を待ちましたが、残念

ながらバスは来ないまま。私たちは道の外れまで来てしまいました。先ほどのご婦人も消えてしま

い、、、。

道は緩やかに左折し、ちょうど東北本線宇都宮繊のグリーンにオレンジラインの電車が通過していき

ます。

踏切を渡りそこからは田畑が広がる長い長い一本道を古河駅目指して進んでいきます。

広々した歩道には青色の自転車レーンも設けられ、東京ではとてもこんなゆとりのあることはできませ

ん。

雨は時折強めに降ったりして、傘が手放せません。傘をずっとさしているのってなかなか大変で、後日

談になりますが、二、三日腕が張ってしまいした。

「全国大会出場」の横断幕が掲げられた古河二高前を通過し、国道354号線と交差する原町交差点

にでれば間もなく古河駅です。

古河駅に行く前に、日本三大観音の一つと数えられる長谷観音に立ち寄りお参りします。お世話され

るご婦人がこちらからどうぞと差し招く地点から、ご本堂奥に微笑みをたたえた木造の観音様が見え、

合掌!

ご朱印をいただき黒飴を買い求め、歴史博物館にも立ち寄るべく回り道しましたが、残念!月曜日と

あって公共施設はアウト!モダンな博物館の反対側には、黒ベイを回した粋な建物の古河藩家老鷹

見泉石の屋敷が構えていましたが、こちらも月曜日でお休み、う~ん残念!仕方ない駅で昼食としま

しょう。

昼食後、雨は小やみになり、1時を過ぎたばかりで、帰路2時間かかるとしても帰宅するには少々時間

があり、次の野木まで頑張ることに。駅頭には「遭はずして 行かば惜しけん 磨くら我の 許我れ 漕

ぐ船に 肝も淡むかも」と石碑に刻まれた万葉歌碑がありました。この時点で、長い長い野木への道の

りが待っていようとは想像だにしなかった。甘かった!

常夜灯が配置され町はずれまで続く旧道が途切れると、いよいよどこまでもどこまでも続く栃木県野木

までの田園の道のりです。菜の花の群落、芝桜の草地、ネギ畑に人参畑などが広大に広がる野木へ

の道のりはやや単調で、ここまで7キロ近く歩いた疲れもありかなりしんどかった。

そんな道程の中ほどに、「旧下野煉瓦窯入口」と書かれた看板発見。高い煙突が望まれ、興味をそそ

られ歩き出してしまったからさあ大変!この道のりが往復2キロ近くあり、さらにたどり着いたはいい

が、見学できず、さらに隣接するホースクラブにも入れず、、、。そうそう乗馬訓練中の馬には遭いまし

たよ。茶系で.足長の馬のパッカパッカという足音が耳に残っています、、、。この煉瓦窯で東京駅の煉

瓦を焼いたそうで、なんとこの窯、国の重要無形文化財だそうです。

重~い足取りでようやくたどり着いた野木駅からは、湘南ライン直通電車が通っていて、雨の中傘をさ

いて歩き続けた疲れから爆睡、気が付くと見慣れた街並みが目に飛び込みホッとしました。

2012/04/23 実行

日光街道てくてく旅 ⑥

幸手~栗橋

昨年の震災で中断した日光街道てくてく旅、緊急の用件で幸手在住の友人を訪ねなけ

ればならず、一年ぶりにてくてく旅を再開することに。

緊急の用件というのは、友人が飼っているワンちゃんが余命いくばくもない状況になっ

ていて、数年前にそのワンちゃんと散歩した私としては、最後に一目会っておきたかったんです。それ

と、幸手の権現堂堤の桜と菜の花の素晴らしい競演を見ておきたかった。

実は友人のご主人は犬猫が苦手だそうで、十五年一緒に暮らしているワンちゃんへの愛情がほとん

どなかったとか。友人に対しワンちゃんのことで辛辣な言葉を度々かけていたそうです。辛かったでし

ょうね。今少し理解のあるご家族がいる家で暮らしていれば、ワンちゃんももう少し生きられたかもしれ

ませんねえ??

ワンちゃんにも対面、友人が権現堂河岸まで送ってくれてさあ出発。平日の午前というのに、堤は桜

見物の人たちで賑わいを見せています。菜の花も黄の群落をそこかしこに作り、桜との競演は噂に違

わず見ごたえありです。

桜樹の下を行く心地よさ

ここからは堤に沿って流れる中川畔を北上していきます。行幸橋を渡ると、先ほどまで

の賑やかさが嘘のように、田畑が広がる地帯をしばらく進みます。間もなくすると「外国府間 右つくば

道 左日光道」と刻まれた石碑が正面に。「外国府間」と書いて「そとごうま」と呼びますが、この地域の

地名なんだそうです。

「左日光道」の指示に従い、田畑の向こうを東武鉄道が走る風景の中をしばらく行くと、

正面に「雷電神社」の石の鳥居が見えてきました。額には「雷電・湯殿権現」と刻まれ、

境内には町会の集会所が。雷電の名が示す通り、雷に打たれた樹木が横倒しになったままになって

いました。

4号線に戻りかけたところで「会津稲荷」の赤い鳥居が。説明書きには、会津候の使者

が江戸へ向かう途中、頼まれた文をなくすという失態をしてしまい、切腹してお詫びをと思ったところ

へ、狐様が表れ命を救ったそうです。

水仙の群落を写真に収め、国道から権現堂川河岸へと向かいます。この川を北上すれ

ば栗橋になります。久しぶりの長距離歩行で、いささか疲れてきましたので権現堂公園でしばし休憩と

しましょう。

栗橋まではあとわずか、川べりを進むことにして再び権現堂川畔へでます。対岸にはキ

ューピーマヨネーズの工場が見えてきましたがすごい化学プラントの様相に、マヨネーズ作るのにこん

なに化学製品が使われてるのかしらと、ちょっと驚きでした。

新幹線の鉄橋が見えてきて、栗橋はもうそこです。

2012/04/16  記